kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



電子書籍の権利・ビジネスモデルに関わる論点

 米国では、アマゾンのKindleをきっかけに電子書籍の普及が進んでいる。それに対して日本では、楽天Koboを売り出すなど様々な動きがあるもののなかなかこの普及が進まない。その背景には、出版社の権利をどうするかや、街の書店を潰してよいのかなど、権利やビジネスモデルに関わる問題が整理できないことが挙げられる*1。これらの問題は断片的に報じられるため、なかなか全体像が見えず分かりづらい。そんな中、「電子書籍時代に出版社は必要か――創造のサイクルと出版者の権利をめぐって」という、とてもうまくまとまっている記事をみつけた。これを読んだ際のメモを記しておく。

電子書籍の時代に出版社は必要か?

 電子書籍に対して、現在出版社は様々な権利を要求している。これに対する是非が電子書籍に関する論点の一つである。この論点を議論するためには、まず紙の書籍に対して現在の出版社が提供している機能について整理する必要があろう。上記のエントリで福井氏は次のように列挙している。

出版社の機能論
1.作家を発掘し育成する「発掘・育成機能」
2.作品の創作をサポートし、時にリードする「企画・編集機能」
3.文学賞や雑誌媒体に代表される信用により世に紹介・推奨する「ブランド機能」
4.宣伝し、各種販路を通じて展開する「プロモーション・マーケティング機能」
5.作品の二次展開において窓口や代理を務める「マネジメント・窓口機能」
6.上記の初期コストと失敗リスクを負担する「投資・金融機能」

 これらの其々の機能が電子書籍の時代に、必要か・不要かという議論と、必要な場合にその機能を誰が担うべきか、という議論が必要になります。これらの機能を作家自身が果たすこともできるわけです。

電子書籍海賊版

 著作物が紙ではなく電子的に流通するようになると、コピーが簡単にできるようになり、海賊版が流通することが予想される。この海賊版に関する事柄が論点となる。上のエントリでは次のように述べられている。

海賊版の定義

植村 確認なんだけど、海賊版と言った場合は、他人の著作物なりを断りなく不正に利用しているものをここでは海賊版って言ってるんだよね?

海賊版の種類

岡田 海賊版ってヒトコトで言うとですね、混乱しちゃうんですけど、2種類あると思います。1つは「安い海賊版」、もう1つは「タダの海賊版」。

海賊版に対しては、これを認めないという点で一致しており、海賊版に関しては何故これを認めないのかが上のエントリでは整理されている。

安い海賊版に関しては、以下のように整理されています。

 これは考え方があって、不当な利益だからけしからんという考え方と、正当な価格が間違ってる場合、ですね。つまり、海賊版の料金が本来正しいのに、無茶な価格をメーカーが付けてるから、あるべき価格に落ちつつあるんじゃないかと。「だって海賊版見てみろよ、その価格でできてるじゃねーか」って考え方もあります。でもそれは、「正規版がちゃんと流通して、正規版をちゃんと作ってくれてそこで資金出してるからだ」という言い方もあると思うんですけども、でも海賊版が出るほど売れてるものなら、資金のリクープ、実はほぼ終わってますよね、と言えなくもない。

 映画業界は例外だと思うんですよ。映画業界って、作るのに100億円くらい掛かるから、海賊版とか認めちゃったらなかなか資金のリクープができないと思うんですけども。海賊版の悩ましいのは、この、安いというのに関して、いつも消費者の視点で言われるのが、じゃあその価格が正当なものなのか。何で日本でアニメがあんなに高くて、僕あのー好きなアニメとかが、あと怪獣映画とかがですね、東宝とかバンダイとかが出してるのが、メーカー名、言っちゃいましたけども……しまったぁ。

次に、タダの海賊版については、アフィリエイトとセットになっている場合が多く*2、これも問題である。

また、海賊版の流通が広告として機能するという意見に対するものとして。

岡田 面白いことに中間層が一番被害受けるんですよね。例えば出版とか漫画とかコンテンツ産業は全部そうだと思うんですけども、弱者にとって海賊版ってのは何ら脅威になり得ない。自分たちの作品は、海賊版として流通してもらえるほどには売れてないから。なので、海賊版で他の人の作品見れる方が得だから、弱者にとって、インディーズにとって、海賊版っていうのは何ら問題がない、それどころか自分にとっては有利。

福井 ビジネスモデルが違いますよね。

岡田 中間は違うんですよ。ところが、強者にとって海賊版はさほど不利にならない。海賊版でどんどんどんどん見てもらえる方が、最終的に自分の知名度とか評価が上がってきて、他の収益方法とか収益モデルを考えられるわけですよね。なので、強者と弱者に分かれやすいんですよ、このIT時代ってのは。中間者がいなくなっていまう、いわゆる、本当に中抜きですよね。クリエイターの中抜きで、強者は海賊版別にあってもいいし、隣接権なんか別に要らないし、俺電子出版だけでも食っていけるし、とか、俺は紙の本でもちゃんと刷ってもらえるし、って言えるんですよ。で、インディーズにしてみたら、そんなの俺関係ないよ、だって俺、自分の作品を理解してくれる人だけ相手してればいいしって。赤松さんが言ったようなことですね。で、中間層の人たちが困る。その人たちが、多分どんどんいなくなっていくという、そういう流れだと思います。

再販制度

 出版社が価格を提示し、この価格では書店は本を売ることができないというのが、再販制度である。今の法制度では電子書籍再販制度の対象外となる。電子書籍再販制度を適用すべきか、ここが論点となる。

その他

 以下の意見は、興味深い。

 「いや、中抜き論ってあったじゃないか」ってことを言われたら、特にインターネットが登場したときの、要するに「インターネット市民論」みたいなね、ネットさえあれば、誰でもが発言して人々に届けられるってあったけど、そんなの起こってないでしょ? いや、起こってるって思ってる人は、牧歌的なイメージの中にとどまっているだけで、今、起こってるのはお世話になってるAmazonとか、検索でお世話になってるGoogleとか、音楽で僕もお世話になるけど、Appleとか。確かにそういうのがあって、これ全然ですね、プラットフォーマーによってしかコンテンツは流通していないんですよ。ネットの上に流通しているのって、確かにチャネルとしてはあるかもしれないけど、その上にプラットフォーマーの存在があるから、膨大なコンテンツが流通しているんだという立場に立てば、「中抜きなんか起こってなくて、むしろ独占が起こっている」と捉えた方がいいと僕は思ってます。

また、以下も面白い。

 基本的にこれからは、小さな出版社になるべきであろう、それしかない。ということは、作家責任が自動的に増えてくる。つまり、出版社が、もうすべての責任とか、催促とか、助言とかをしてくれる時代はほぼ終わりに近づきつつある、イコール、読者による、読書ボランティアとか読者ボランティアですね、そういうようなサポートが必要になってくると。

*1:それ以外にも、紙の本を売って儲けている人たちにとって、電子書籍を推進するモチベーションがないことも原因として挙げられる。

*2:Youtubeはこれに当たる