kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



次世代スパコン開発は、科学技術研究か?

 かつて蓮舫議員が「2位じゃダメなんですか?」と発言し、開発者も含めて日本中が「そう言えば、スパコンって何の役に立つんだっけ?」っと基本的なところを考えてないことに気づいたことがありました(関連エントリ「スパコンは世界一だけでいいんですか?」)。
 そんなすったもんだがあって出来上がったスパコン「京」ですが、このたび文部科学省がこの「京」の100倍の性能を持つ次世代スパコンプロジェクトの計画を発表した。その予算規模が1000億円と高額なため、スパコン開発の是非に関する議論が盛り上がっている(例えば、『スパコン「京」後継機開発へ 国費1000億円投入の是非』(NAVERまとめ))。
 そんな様々な議論の中で、「次世代スパコン計画批判に関する論点整理」(うさみのりや)の記事が興味深い。要旨は、スパコン開発を行っているのは文科省であって経産省ではない。文科省の役割は科学技術研究の推進であり、産業振興ではない。よって、スパコンが何の役に立つのか?という問いを文科省にぶつけても議論はかみ合わない、というものである。

○科学技術研究に産業上の価値を過度に求めることは「スポーツで一番になることに価値があるの?」と詰めることと同様に本質的には筋違い。本来科学技術研究の価値は「真理の追究」にあり、人間そのものや人間社会の可能性の限界を広げる為にやるもので、プロジェクトベースの採算を問うべき種のものではない。

 この意見に賛成・反対は皆それぞれにあると思うのだけど、今回はそれには触れずに別の側面について述べたい。
 科学技術研究は短期的な採算を問うべき類のものではない、という考え方は今の時代に合わなくなってきているように思う。例えば、分散コンピューティング技術というコンピュータ科学の分野を発展させたのはgoogleやamazoneであることは皆認めると思う。このような研究をgoogleが行えた背景には、ベンチャキャピタルが資金を出していたからである。ベンチャキャピタルは、多数の企業に出資し、確率的に成功する企業からリターンを得ている。こういう出資者が現れることで、科学技術と産業の距離が近くなってきている。別の例として、遺伝子技術の分野も同様に見える。
 このような変化の中で、コンピュータサイエンスという分野は、今や科学という学問領域ではないのだと感じる。もちろん、コンピュータサイエンスの中に、「真理の追究」に値する研究テーマがあれば、そのテーマを科学領域とみなしても良いのだけど、そのようなテーマがあるようにも見えない。

まとめ

 コンピュータサイエンスは、今や科学研究の領域に属していない。次世代スパコン開発における研究テーマが、科学研究としての迫力があるか議論する必要がある。

付録

 一方、スパコンを産業的に評価するとしたら、「京」を振り返るのが良いと思う。「京」がどれくらい使われているかが、スパコンの必要性の指標となるだろう。1京の計算能力を長期間使い続けている使用例ってあるのだろうか? 複数のテーマで同時に「京」を使って、合計1京の計算をしているという使用形態はダメ。それじゃ、世界一のスパコンの必要性が説明できない。