kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「読まずに死ねない哲学名著」:常識に縛られている自分を認識し、それから解放される術を学ぶ本

 「私は何のために生まれてきたの?生きてる意味なんかないじゃん」。これはある映画のセリフである。主人公は自分が望まれずに生まれたことを知って、こう言ったのだ。よくあるセリフだが、ここにはある常識が含まれている。人が生まれるのには意味がある、という常識だ。一方、哲学の実存主義では、そもそも生まれる意味など何もなくこれからどう生きていくかに意味がある、と考える。

 人は常識に縛られている。善い行いをすべきなど、まるで「善」が存在するかのように発想し、この発想に縛られる。そして人は窮屈な思いをする。

 哲学とは、この常識を疑い作り直す活動だ。「読まずに死ねない哲学名著50冊」を読むと、これがよく分かる。 

 

 ルネサンス期のヨーロッパでは、強力な国王の下で国家が形成されていた。民衆は何故国王に従わなければいけないのか?当時の常識(王権神授説)では、国王は神から権力を授けられていると考えられていた。つまり、国王に逆らうということは神に逆らうのと同じで、絶対やってはいけないことだった。この常識に疑いを持ったのが哲学者だった。民衆は国王に権利を譲渡していると考えたのが、「リバイアサン」を記した哲学者トマス・ホッブスだ。

 有名なフランス革命で市民が国王を討つことができたのは、トマス・ホッブスが王権神授説という常識を疑い作り直したからだ。

 

 その時々によって常識が存在する。

 科学が発達し神の存在が疑われると、善とは何かが問題になってくる。かつては、神がなすべきと欲するものそれが善であった。神がいないとすると善とは何だろう?

 これに応えたのがニーチェである。ニーチェの「道徳の系譜」によれば、善とは弱者の負け惜しみである。

強者を「悪人」として思い描く。そして、この「悪人」に対比して、弱い自分を反動的に「善人」とみなす。「強い」は悪い、「弱い」は良い、われわれは「弱い」、ゆえに我々は「良い」。

 

 本書では、このような哲学の名著50冊が解説されている。しかも平易に解説されており、ともて分かりやすい。

 哲学の本を読むのは正直つらい。時間もかかる。本書を読むことでそれらのエッセンスを楽に掴むことができる。

 そして本書を読むことにより、常識を疑うとはどういうことかが分かってくる。一度常識を疑う感覚が身に付くと、自分がいかに常識に縛られているかが分かる。常識に縛られていることが自覚できれば、それから解放されるのは簡単だ。