kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



wikipediaが広告費を受け取らない訳、広告は集合知を殺す

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 相変わらず鋭い洞察をするシロクマさんの記事。ゲーム攻略情報を題材に集合知がsu衰退したのではないかと、指摘しています。

 インターネットを使って個人が情報発信するようになったころ、一人一人の知識・知恵は小さくとも世界規模でこれらが合わさることで、素晴らしい知恵が生まれると考え、その知恵を集合知と呼ばれていました。集合知こそが社会を進化させる決め手だと思われていました。

 私は、インターネットに起こった2つの変化(プラットフォームの変化、インセンティブの変化)が、集合知を衰退させたと思っています。

 

プラットフォームの変化:シェアハウスから個別住宅へ

 集合知が世界を変えると言われていた頃は、SNSはまだ登場せず個人ブログも少ない時代でした。その頃は、掲示板(bbsやwiki)が情報発信のプラットフォームでした。皆が一つのページに書いたり読んだりし、自由な情報交換を一つの場で行っていました。いわばシェアハウスのような場所でした。そこでは、活発に情報交換・議論が行われ、中には有志により情報のまとめやFAQを定期的に作るところもありました。
 当時はGoogleのようなネット検索技術が未熟であったため、新しい場を立ち上げてもそれをみんなにみつけてもらうことは難しく、有名な場に人と情報が集まっていました。そうして集まった情報が集合知へと昇華していました。

 

 今は、SNSや個人ブログがネットの主要なプラットフォームになっています。そして、ここで行われているのは、個人による今日何を食べた・何をしたといった断片的な情報の発信が中心となりました。そこは、いわば個別住宅のようなプライベートな場です。それらはまとめられることもなく、複数人の情報が融合することもなく、発信された情報を集合知に昇華する作業は行われなくなりました。

 

インセンティブの変化:同好サークルから個人の利益へ

 「集合知」の時代、掲示板上で行われいていたのは同好サークルの交流でした。ゲーム攻略、バイク、オーディオ、学問など、そのトピックの好きな者が集まり情報交換をしていました。まとめやFAQを作ることで繰り返しの議論は遠ざけられ、より深い内容へと情報は厚みを増していきました。この場に参加するモチベーションは、そのトピックに関する興味が主でした。

 一方、今ネット上で情報発信するのは、広告収入を目的としていたり、「いいね」をもらい(つまり承認欲求を満したい)ためです。そして、多くの集客をするため、あるいは「いいね」をもらえるトピックが選ばれているように思います。つまり、発信される情報は、エンターテイメント性が追及され、一般受けするものを狙う傾向があります。また、情報の正しさを検証されることはなく、いわゆるフェイクニュースを生みやすい環境となりました。
 このため、似た情報ばかりが発信され、ネットに集まる情報は偏るようになりました。そうして偏った情報からは集合知に昇華することなく、「衆愚知」となっています。 

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まとめ

 世界を変えると言われた集合知が衰退した。
 その原因は、情報発信のプラットフォームが掲示板からSNS・個人ブログに移行したこと、情報発信のモチベーションが広告費獲得に変わったためでしょう。

 

追記

 オンライン百科事典wikipediaは広告費を受け取らないことをご存知でしょうか? 集合知の極みと言われるwikipediaは広告費ではなく寄付金で運営されている。それは、広告費で運営することで集合知に昇華する力を失うことを、運営者が知っているからでしょう。