kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



癌になるということ

 約半年前に癌の手術をしました。時間も経ち気持ちも落ち着いてきたため、ここで癌になった体験をまとめてみます(詳細な記録は別エントリ「顎下腺癌を経験」を見てください)。
 癌がみつかるというのは、本当に怖いし、つらいことです。精神的にクタクタになります。

癌の発見

 癌の発見には自ら病院で受診する必要があります。
癌には自覚症状はありません。自覚症状が出るのは病状がずいぶん進行してからです。そのため、癌を発見するには自ら病院で受診する必要があります。自覚症状が無いからといって病院に行かなければ、癌をみつけることはできません。
私の場合、手で顎を触ってしこりがあることは分かっていました。最初は扁桃腺が腫れているのかなと思っていました。4年ほど放っておいたあとに街の診療所で診てもらうと、問題なしと言われました。これが誤診でした。その一年後に別の診療所で診てもらうと、すぐに大学病院への紹介状を持たされ、本格的な検査をすることになりました。

癌の検査:細胞診

 大学病院でCTやMRIや超音波など様々な画像診断をした後、しこりの部分の細胞を注射器で取って検査しました。細胞診ってやつです。その結果、私の癌は悪性でした。
 細胞診について詳しく記します。細胞診をするとクラスIからVまでの判定がでます。その意味は次のようになります(静岡がんセンターホームページより)。

【クラスⅠからⅤで細胞が悪性かどうかをみます】

細胞診は、針で吸引したりブラシでこすったりして細胞を採取したり、あるいは尿や痰などのなかにはがれ落ちてくる細胞を、顕微鏡で細胞が悪性かどうかを調べる検査です。生検に比べ簡便で患者さんへの負担も軽くなります。ただ、細胞診は少数の細胞を顕微鏡でみて検査をするので、組織をみる病理診断よりは診断の精度は低くなります。細胞診の結果により、必要であれば精密検査を行います。

この細胞診検査の分類方法のなかに、パパニコロウ分類という分類法があり、その分類ではクラスⅠからⅤで細胞が悪性かどうかを分類しています。以下ご参照ください。
◎ クラスⅠ:正常細胞(異常なし)
◎ クラスⅡ:異型細胞は存在するが、悪性ではない
◎ クラスⅢ:
  Ⅲa 軽度・中等度異型性(悪性を少し疑う)  
  Ⅲb 高度異型性(悪性をかなり疑う)
◎ クラスⅣ:悪性細胞の可能性が高い、あるいは上皮内がん
◎ クラスⅤ:悪性と断定できる異型細胞がある
(現在では、正常・良性、良悪性鑑別困難、悪性疑い、悪性という4段階の分類法を使うこともあります)

細胞診の結果のクラスⅠ〜Ⅴと、がんの病期(病気の段階)をあらわすステージⅠ〜Ⅳは全く違うものです。よく勘違いする患者さんやご家族がいらっしゃいます。よくわからないときは、担当医に確認しましょう。

私はクラスVでした。

癌の検査:転移の確認

 悪性(クラスV)の癌だと分かると、次に他の臓器への癌転移の有無を調べました。リンパ節、肺、肝臓、腎臓等をCT・MRI・超音波で調べます。
 精神的に一番つらいのは、この転移の検査でした。悪性の癌が見つかっているため、すぐにでも手術をしないと手遅れになるのではないかと気持ちは焦るのですが、病院の都合で検査を一週間待たなければなりませんでした。体のどこかに癌が転移しているとなると、余命はもう長くないのかもと考えながら一週間を過ごしました。精神的にきつい一週間でした。
 幸い、検査の結果は良く、転移はありませんでした。

癌の進行度(ステージ)

 悪性の癌の場合、転移の確認が済むと進行度(ステージ)が決まります。私はステージIIでした。

ステージは3種類の情報から決まります。

  • 癌(原発腫瘍)の大きさ(T)
  • リンパ節への転移の有無(N)
  • 遠隔臓器への転移(M)

これらの組み合わせで、ステージが決まります(「がんのきほん」に分かりやすい説明があります*1 )。
 私は顎下腺癌でしたので、がん研有明病院のホームページを見て、こういう説明をされても素人にはよくわからないなと思いながらも、転移するとやばいんだろうなと考えていました。

手術前

 手術は一か月半後に決まりました。明日にでも手術したかったのですが、病院の予約がつまっていたためです。一か月半も癌を放っておいて良いものかと心配でした、別の病院を探そうかとも考えましたが、我慢しました。
 この手術前の期間もつらい時期でした。
 この手術までの期間で転移したらどうしようなどと考えて不安になりました。
 自分でも意外なことに、泣いたり喚いたりすることはありませんでした。ただ、精神的につらかった。普通に働きに行って普通に帰ってくる毎日を過ごしました。残された時間を何か有意義に過ごそうと考えましたが、何か特別なことをするアイデアもなく、淡々と普段やっていることをただ丁寧に行って毎日を過ごしていました。
 手術前に入院保険の相談を保険屋とするのが一番つらい作業でした。病状を他人に話すこと、普段行わない保険の手順を確認すること、これらが負担でした。誰かに代わって欲しかった作業のナンバーワンです。

手術

 手術に関して、私にできることは何もありません。ただ、医者に任せるだけです。
 自分で歩いて手術室に入り、自分で手術台に横たわったのは意外でした。なんとなく運んでもらえると思っていたので。
 麻酔を入れられ意識がなくなりました。そして「○○さん、深呼吸してください」と私の名前が呼ばれました。麻酔から覚めたら手術中に喉にいれた呼吸器を取り外す、そのために深呼吸をして欲しいと事前に言われていました。無事呼吸器が外されて、そのまま病室に運ばれました。

手術後

 手術の後遺症が色々ありました。
 手が上がらないのにはビビりました。唇がうまく動かせず、歯磨きの後ブクブクと口をゆすぐ際に水が口からこぼれたときは悲しくなりました。顔から首にかけて左側の感覚がマヒして痛みを感じないのには苦笑いしました。
 命があるだけマシという気分でした。

退院後

 退院直後は、体重がどんどん落ちました。BMI(=体重÷身長÷身長)は16まで下がりました。ダレノガレ明美並みです。ちなみに、退院から7か月たった今はBMI 18です。ローラ並みです(笑)。
【NAVER まとめ】理想!?女性芸能人のリアルな身長・体重

ローラ BMI 18 (身長1.65m, 体重48kg)
中村アン BMI 18 (身長1.61m、体重47kg)
指原莉乃 BMI 17 (身長1.59m、体重43.9kg)
ダレノガレ明美 BMI 16 (身長1.64m、体重42.6kg)
桐谷美鈴 BMI 15 (身長1.64m、体重39kg)

 退院直後から働きに行きました。体力が落ちていてフラフラでした。今考えると、通勤時によく怪我をしなかったものだと思います。無茶でした。混雑した駅で誰かにぶつかられていたら、転んでいたと思います。
 体力が落ちると気力も落ちます。手術後2か月は、仕事以外は何もしない日々が続きました。趣味のカメラやバラ栽培もせず、家の中でずっとTVを見ていました。
 精神的にこの頃は滅入っていて、自分が何もできない人間になったと思い込んでいました。仕事も趣味もこれまでのようにはできないのだと考えていました。これが誤った思い込みであることに気づくのには2か月くらいかかりました。ある日、「手術前のようには何もできないよなぁ」と思っていたところ、ふとこの考えには根拠がないことに気づきました。気持ちが滅入ると変な思い込みに囚われるものだと実感しました。
 一方体力は毎月回復していき、退院から4か月後くらいでずいぶん元気になった実感がありました。体重もこの時期から増え始めました。
 今もリハビリを続けています。手は上がるようになりました。唇はまだ自由に動かせませんが、ずいぶんよくなりました。顔の麻痺はまだ残っています。広頚筋が固くなっていて痛い。今一番つらいのはこの痛みです。

まとめ

 癌の手術をして約半年が過ぎました。気持ちも落ち着いてきたので、過去を振り返ってみました。
 癌がみつかるというのは、精神的につらいものがありました。診断や手術がすぐにできないことがつらいかったですね。
 オレ死ぬかもな、と考えるわけです。だからと言って何かすごいことはできませんでした。「俺は本気になってないだけ」という気持ちが少しありましたが、改めて本気になって今の生活なんだと思いました。ただ丁寧に普段の生活を続けました。
 手術には後遺症が残ります。癌は安全域を確保して広く組織を取るので、後遺症もそれなりに出ます。命があるだけ儲けものと思っています。
 この記事が誰かの参考になれば幸いです。

思うこと

 癌の治療には3種類あります。(1)外科手術で摘出、(2)薬物治療、(3)放射線治療の3つです。それぞれ後遺症や副作用があります。医者の治療は、様々な患者に統計的にベストな方法で行われます。確率的にわずかですが、患者個人には別のやり方がベストであったりもするでしょう。しかしそれは誰にも分らない。蓋然性を追い求めるしかないのだと思いました。
 私の場合、クラスVの悪性腫瘍だったため、手術では安全域を見込んで部位を取り除きました。しかし、細胞診というのは確度が高くないようで、細胞診ではクラスIIIであったのに手術で取り出したらクラスVだったということもあるようです。その場合、手術で摘出する部位の大きさが小さいことになります。そうした場合、どうするのでしょうね?再手術は体の負担が大きいし、薬物治療や放射線治療を後付けで行うのでしょうか? 誰か教えて頂けると嬉しい。

後記(2022年12月)

 手術から6年が経過して、幸いまだ生きています。まだアフターフォローのための定期的な検査は続いています。後遺症もばっちり残っていて、手術の跡は絞まるように痛む時がありますし、上がらなかった左肩は運動不足になると痛み出します。まぁ、それでも普通に生活していますし、笑ったり、美味しいものを食べたり、ブログを書いたりしています。幸せなのでしょう。

*1:癌の種類によって診断が異なることに注意