kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」の感想:帰るべき故郷は大学時代、結末までの語り方が心地よい

 伊坂幸太郎の小説を10冊ほどまとめて読みました。ここでは、「ゴールデンスランバー」の感想を書きます。

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 私にとって小説を何度も読むのが苦ではないのは、その結末に興味が無いから。ゴールデンスランバーは5回読みました。

 

 プロット(あらすじ)は、首相殺害の濡れ衣を着せられた青柳が逃げ回る、というもの。青柳は、逃げ切れたのか、それとも真犯人を捕まえたのかといった結末は重要ではないと思っています。小説中に散りばめられたエピソードや登場人物の想いなどの断片を一つのストーリにまとめた描き方が素晴らしく、これを味わうように読むのが楽しい。

 さて、この小説は、ケネディ大統領暗殺事件を縦糸に、ビートルズアビーロードを横糸に編まれていて、そこに青柳の逃走劇(現在)と大学時代の思い出(過去)が交錯し、さらに別れた彼女 樋口晴子と青柳のシーンが別々に描かれそれらが混じりあいます。ストーリが複雑な構造をしていますが、タイトルが「ゴールデンスランバー」であることを意識して読むと、読みやすいでしょう。

 

 ケネディ大統領暗殺事件は、市内をパレード中に銃撃され死亡した事件。一時間後に逮捕されたオズワルトはダラス警察署の中でルビーに銃撃されて死亡。翌年出された公式調査報告ではオズワルトを犯人と断定したが、数々の反証が出るなどして真偽は今も議論されています。

 ゴールデンスランバーの主人公 青柳をオズワルトになぞらえれば、仮に警察に捕まったら、彼も真偽が定まる前に殺されることが想像できます。また、小説の中でも同様に鵜飼報告書なる調査報告書が出てくることも面白い。

 解散が濃厚になったビートルズが、「最後にアルバムを一つ製作しよう」と言って作られたのがアルバム アビーロード。この中のゴールデンスランバーでは、"Once there awas a way to get back homeward"(故郷に帰る道があった(でも今は無い。。))と繰り返し歌われており、小説の中で青柳たちの「故郷」あるいは帰る場所とは、大学時代の友人たちとの生活であると感じます。

「昔は故郷へ続く道があった、そういう意味合いだっけ?」

「学生の頃、おまえたちと遊んでいたときのことを反射的に、思い出したよ」

「学生時代?」

「帰るべき故郷、って言われるとさ、思い浮かぶのは、あの時の俺たちなんだよ」森田森吾は目を細めた。

 (第四部 森田森吾の言葉より)

 

「今はもうあの頃には戻れないし。昔は、帰る道があったのに。いつの間にかみんな、年取って」

(第四部 カズの言葉より)

 

 

 また、ビートルズにはポール死亡説 (Wikipedia)があることも興味深い。ポールマッカートニーは既に死亡しておりそっくりな替え玉が歌っているというものですが、「そっくりな替え玉」という点でも小説につながりを持ちます。

 

 この小説では、青柳の大学時代の思い出が繰り返し描かれます。

 大学時代に仲間と花火工場に通ったこと。そこでは、花火に一切触れることは許されず雪かきばかりしていた。青柳はご飯を食べるのが下手で、ご飯粒を茶碗に残すこと。これらの思い出から、樋口晴子は青柳が犯人でないと信じることになります。

 この小説の中で「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」と繰り返されますが、ご飯粒を茶碗に残す習慣によって樋口からの信頼を得ることになっていく。こういう話の展開も私は好きです。

   一方で、世間に対する青柳の信頼をマスコミが奪っていく。

 

 この小説の中で、重要キーワードは「イメージ」です。小説の冒頭でこんなことを登場人物が言う。

「ネーミングっていうのは、大事なんだよ。名前をつけるとイメージができるし、イメージで、人間は左右されるからさ」

また、青柳のイメージを世間に印象付けるためにマスコミが利用されます。操作の指揮を執る佐々木はマスコミに言う。

「今回のような緊急事態には、マスコミの皆さんの協力も求めています。仙台市内に住む方々の情報を集め、それを私たちにフィードバックしていただきたい。市民へ警戒を促す結果にもつながると思っています」と言った。

 これで、テレビ局は、「捜査に協力する」大義名分を得た。

 その後マスコミは、青柳の悪いイメージを世間に広げていくことになります。一方、操作の指揮を執る佐々木は、青柳にこう言う。

「情報をコントロールするんだ。君は犯人だが、憎むべき、おぞましい人間ではない。許されはしないが、同情できなくもない。そういう犯人像にする」

(中略)

「イメージ」佐々木は短く、言った。「イメージというのはそういうものだろ。大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く。味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージが良くなったからだ。もてはやされていた俳優に仕事がなくなるのは、イメージが悪くなったからだ。主将を暗殺した男が、さほど憎まれないのは、共感できるイメージがあるからだ。」

 

 さて、この小説は時間が前後する構成になっています。目次を記すと

  • 第一部 事件のはじまり
  • 第二部 事件の視聴者
  • 第三部 事件から二十年後
  • 第四部 事件
  • 第五部 事件から三か月後

目次を眺めると、第三部と第五部が時間軸として奇異に感じるでしょう。また、第二部と第四部の関係も不明確です。

 なぜこのような奇異な構成になっているか考えるのも楽しい。私の考えでは、第二部はマスコミによって「イメージ」がどのように操作されていったかを描いているように思えます。第四部は、青柳の当事者視点により事件の真実が描かれていきます。そして、第三部では事件関係者が何者かに消され、真相が明らかにならなかったことを描き、第五部で青柳がどうなったかを描いてフィナーレとしています。

 さて、ここで第三部を描いている”一介のノンフィクションライター”とは誰でしょうか?私は、20年後の青柳だと想像しています。理由は、次の二つの記述があるからです。上は青柳がショッピングモールで出会った若者のセリフで、下は友人 森田森吾の”森の声”と一致します。

 筆者は昔、若者たちが、「世の中の悪いこと全部が、自分たちのせいにされる。アメリカみたいだ」と嘆いていたのを聞いたことがある(中略)

もちろん、答えは得られず、そこでは森の声も聞こえなかった。

 

 伊坂幸太郎の小説と言えば洒落た会話と伏線が特徴です。私の好きな部分を挙げておきます。

 

そして、打ち合わせがあったようにも思えないが、どちらかともなく、男と七美が、「白ヤギさんからお手紙着いた、黒ヤギさんたら読まずに食べた」と歌い始めた。

 上は、青柳が車に残した「俺は犯人じゃない。青柳雅春」と書いたメモをみつけた樋口晴子が「知ってるって」とそのメモに書き込んだ後のシーンです。青柳の名前(青ヤギ)を使ったこんな遊びが好きです。

 

「言うの遅えーよー」

 学生時代に青柳が樋口晴子につきあって欲しいと言ったときの、樋口の返事の言葉です。この言葉は、その6ページほど前の森田森吾の言った文句を樋口が真似て行ったものですが、このときの森田森吾が本気で不平を言っていなかったであろうことと絡めて読むと楽しい気分になります。

 

「俺が配達する区域に、稲井さんという人がいてさ」

「何の話だ」

「まあまあ。とにかく稲井さんが」

「いるのにいないさん、か」

「その通りなんだ」青柳雅春は笑う。「いつも不在で、(略)

 稲井さんがいない(不在)と言おうとした青柳に「いるのにいないさん、か」と口を挟んでいる会話が可笑しい。

 

 最後に、第五部を読み解くために重要な部分を紹介しておきます。

 また、当時、佐々木一太郎と同様、事件の捜査にたずさわっていた刑事、近藤守もその一年後、退職した一人だった。(中略)青柳雅春の後輩である男性が、口封じのため謎の死を遂げずに済んだのは、近藤守の主張が通ったからではないか、と憶測をめぐらすことはできる。

 (第三部より)

 

「本当にすみません」

「いいよ、謝るなっての」岩崎英二郎は早口だった。(中略)「まあ、キャバクラの姉ちゃん、口説けたのお前のおかげだからな」

「奥さんに告げ口しますよ」

「無事に逃げ切って、告げ口しに来いよ」

 (第四部 岩崎が青柳を逃がす部分より)

 

「小学校の時の冬休み、書初めの宿題が出たんだよ。何でもいいから、好きなことを書いて提出しろって」父親の隣で青柳雅春は眉をしかめて、言った。「『初日の出』とかさ、みんなはそういうのばっかり書いてんのに、俺だけが、『痴漢は死ね』って書かされたんだぜ、親父に言われて」

(第四部 樋口が青柳の実家で、痴漢嫌いの父親の話を聞いた部分より)

 

「わたしたちって、このまま一緒にいても絶対、『よくできました』止まりな気がしちゃうよね」

(第四部 別れを告げた際に樋口が青柳に言った言葉) 

 

 色々と書いてきましたが、私は、以下のセリフが一番印象に残っています。自分の大学時代を振り返れば、私だって本当に下らないことで友人たちとわいわいやってましたから。

「本当に下らないですよねえ」カズは言った。「あの時って、何であんなくだらないことでわいわいやってたんですかねえ」

  (第四部 大学時代たわいもないイタズラで喜んでいた思い出の部分)

 

まとめ

 ゴールデンスランバーは、繰り返し何度も読める小説です。

 本の後書きに著者は、物語の風呂敷をたたむ過程が一番つまらない、畳まなさ具合に味がある、とあります。結末を明確に記述せず謎な部分を残しておき、その謎を想像する余地を読者に残すということでしょう。

 また、自分の小説の中でいちばん面白がって欲しいのは語り方の工夫なんです、とも言っている。例えば以下のような、情景が思い浮かび、かつクスっとするような語り方がいくつもちりばめられています。

時刻表のところに、踵の高い靴を履いた女性が立っていた。冬だというのに背中がずいぶんと露出した服装で、スカートは短い。何の我慢比べかと思った。

 

 著者は結末には直接関係のない部分に工夫を凝らして遊んでいて、読み返すたびにクスっと笑ったり、想像を広げたりして楽しむことができます。

 また、この小説が書かれた2007年はまだスマートフォンが普及していなかった時代*1で、テレビ等のマスコミが世論に大きな影響力を有していました。主人公の青柳は首相殺しの濡れ衣をマスコミを利用されて着せられるのですが、現在のSNS時代ではTwitterやLINEが利用されるのかな?などと考えると楽しい。

 

追記

 映画の方の感想をネットで見ていると、なぜ青柳が濡れ衣を着せられたのか分からない、というものを割と見かけます。映画では描かれていなかったのかな。小説では、青柳がマスコミ受けするため濡れ衣を着せられたことが描かれています。

「英雄が転ぶのはみんな好きですからね。青柳さん、二枚目だし、俺みたいな冴えない男からしたら、やっかみの対象ですよ。ぬれぎう、どんどん着せてしまえ、って気分にもなりますね。」

(第四部 キルオの言葉より)

ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー

 

*1:初代iPhoneの発売が2007年。

「ガソリン生活」(伊坂幸太郎)の感想:車同士のおしゃべりが楽しく、車の視点でストーリが進む、人間社会の事件のお話

ガソリン生活 (朝日文庫)

ガソリン生活 (朝日文庫)

 

 

概説

 伊坂幸太郎の小説「ガソリン生活」は、車同士が会話するというファンタジーと、女優の事故死や犯罪集団に巻き込まれる家族の人間社会のサスペンスが融合した小説です。

 

 本書に登場する車たちは個性があり、しかも善良。緑のデミオはとても純朴、白のカローラGTは教師のように思慮深い。ヴォクシーヴィッツ等々も登場するが、そのどれもが持ち主の家族を愛しています。

 これらの車同士の会話は楽しそう。例えば、次のデミオヴィッツファミリーレストランでの会話のように。

「やあデミオ」と話しかけてきたのは、右隣のヴィッツだった。(中略)「やあヴィッツ」と僕も挨拶をする。「ここは良く来るのかい?」

「時々だ。うちの持ち主の瑠奈さんが、ここで働いているからね」と言う。

「ああ、店員さんのほうなのか」

(中略)

「予感はナビには映らないけれど。瑠奈さんは、はきはきしていて外見も悪くない。何と言っても、運転が丁寧だ。ウィンカーを出す際には優しくバーを倒すし、ハンドブレーキを引く時は穏やかにやり過ぎて、なかなか止まらないくらいだ。」

「それはむしろ危ないじゃないか。」僕は苦笑する。僕たち自家用車は、餅縫い家族について知らず知らず肩入れするものだが、このヴィッツの贔屓の具合はまた極端だった。

 

 このように、小説の中の車は意思を持つ。ただし、(人に操作される車なので当たり前ですが)自分の意思では動くことはできず、車同士のおしゃべりで得た情報は、人間社会で起こる事件の解決には役に立たない。人間社会の事件を解決するのはあくまでも人間。

 本書は、緑のデミオの視点で描かれています。人間は車の言葉を聞けないが、車は人間の言葉を理解し、人間から聞いた情報と車同士のおしゃべりから得た情報を使って、ストーリは進む。

 

 この人間以外の視点で小説を描くという手法は珍しくはありません、例えば夏目漱石の「吾輩は猫である」は、猫の視点で小説が描かれています。しかし、この小説の車の視点を使うというアイデアは、3つの点で優れていると思う。一つ目は、人は車に感情移入しやすいこと、二つ目は、車には車種ごとのキャラクター(ファミリーカー、高級車、スポーツカー等々の属性から類推する個性)があること、三つ目は、人は車の中ではプライベートな会話をするため、込み入った情報を車が聴くという設定にうってつけの場所であるため。

 

楽しみたい部分

 さて、伊坂幸太郎の小説の特徴は、伏線が小説の各所に仕込まれていて回収されていくことと、登場人物の洒落た会話がなされていくことでしょう。そこで、夫々について紹介していきます。

 

 ストーリーや登場人物の心理を理解する上で大切だと思う伏線を紹介します。まずは、歯医者で丹羽のカルテが他人のものと入れ替わっていたことに関する部分。

「ひどい歯医者だね。情報、入れ代わっちゃうなんてさ」亨が指摘する。

「それは本当に、うっかりミスだったんだろうけど、大きな事故にならなくて何よりで。ただ、あの歯医者さんで困るのはそんなことじゃなくて」

「何かあったんですか」良夫が気にかける。

荒木翠は首を横に振るだけだった 

 

 次に、荒木翠の死亡事故については無神経な態度をとると、玉田が亨に指摘された部分。

玉田健吾は、「そんなこと言われてもな。困るんだよ」とため息をついた。「だいたい、俺は荒木翠にはそれほど同情していねし」

 

 さらに、登場人物を理解するために大切な部分。

 荒木翠の言う丹羽の性格。

「世間知らずで苦労知らずで、パソコンいじってばかりの引きこもりね」と愉快気に言った。

 

アテンザの言うトガシの性格。

「トガシは、自分のことしか考えていない。自分の信号は全部、青のなるべきだと思っているような人間だから。

 

デミオの言う荒木誠人(荒木翠の夫)の性格。

 一方、荒木翠の旦那はそれとはまた違うようだ。自分の信号は青だと確信している。自分が正しいと信じて疑う余地がない。

 

  次に、是非楽しみたい洒落た会話を紹介する。

 Twitterで私生活を発信している妹まどかに対して、良夫と亨の会話。

「否定的なことを言うつもりはないんだけれどな、自分の行動をそこまで細かく発信して、何の意味があるんだ」と否定的なことを口にした。

「まあね。でも、昔から、そういう記録が残っていたら面白かったかもしれないよ」

「昔って、戦後とか?」

「もっと昔だよ。『今日、中臣鎌足さんと大化の改新の予定』とかさ」

 

 まどかが自分の恋人である江口が面倒に巻き込まれていることを、家族に話したあとまどかも面倒に巻き込まれるのではないかと心配する母 郁子との会話。

「お母さん、江口さんは私を守ろうとしてくれているの」

「守れなかったらどうするのよ。あのね、サッカーのゴールキーパーなんて、みんな、ゴールを守るつもりでいるのよ。なのに、試合では何点も取られちゃうんだから。守ろうと思って、守れるんだったら世話無いんだから」

  

札幌ナンバーと鹿児島ナンバーのシトロエンアルファロメオに対して、デミオヴィッツの会話。

「二台ともそんなに遠くから来たんだね。北海道からと九州からだなんて」北は言わずにいられない。

(中略)

「まさにあの、なぞなぞ通りだ」ヴィッツが浮き立つ声を上げる。

「なぞなぞ?」

「来たから車が五百台、時速五十キロでで出発しました。南から車が五百台、やっぱり時速五十キロで出発しました。さて、どの場所で出会うでしょうか。というクイズ」

 

まとめ

 伊坂幸太郎の「ガソリン生活」は、車同士がおしゃべりをするファンタジーと人間社会の事件が融合した小説です。

 車の視点でストーリを進めるという設定が面白い。また、車同士のおしゃべりは楽しそうで、平和な気分になります。

 小説自体は、軽い文体でスラスラと読めますが、各所に仕込まれた伏線を探したり、登場人物の洒落た会話を味わったりしながら読むと、一層楽しめます。

天井照明を買い替えました、ニトリWACCA

 照明器具で部屋の雰囲気は全然ちがうものになりますよね。それなのい、電機メーカーの作る照明ってデザインがいまいち、どれも同じものに見えます。カッコいい照明がみつからなくて、しかたなくイケアの安いもの(MELODI)を使っていました。

 ただ10年使っていると黄ばんできたので、買い替えることにしました。

 

 色々と探してみつけたのが、ニトリWACCA

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部屋に付けた様子



 ニトリWACCAは5999円。イケアのMELODIは999円なので6倍高いことになりますが、その分しっかりしています。気に入っている点は3つ。

  • 照らす明るさが明るい(イケアのMELODIは暗かった、、。)
  • 天井の取り付け部の造りがしっかりしていて、取付位置の高さ調節がしやすい
  • LED電球なので、電気代が安い

 

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明るい電球(810ルーメン)を3個つけた

 

 

まとめ

 天井照明を、ニトリWACCAに買い替えました。

 しっかりしした造りと、明るさで満足です。

ウォックパンが便利で使い倒し、また新しいものを買った

 ウォックパン(Wok Pan)を買い替えました。たまたま買ったウォックパンが便利で使い倒していたら、そろそろテフロンが効かなくなってきたので、リピート買いしました。

 

 初めてウォックパンを買ったのは、3年くらい前。とあるアウトレットモールに行ったときティファール(T-fal)の店舗を覗いたら、中華鍋(ただし柄は片手用)のような形のフライパンをみつけた。面白い形だし、折角アウトレットモールまで来たのだしと思ってなんとなく買いました。

 

 こうしてなんとなく買ったウォックパンでしたが、使ってみると滅茶苦茶便利でした。

 深さのある形をしているので、炒め物で乱暴にかき混ぜても中身がフライパンの外に飛び出しません。チャーハンなんかも、ご飯がフライパンの外に飛び出さなくて料理後の後始末が楽。

  また、底にかけて丸みのある形をしているので、ダシや煮汁を絡ませる料理に便利。白菜の餡かけ、豚の生姜焼き、ブリの照り焼き、筑前煮、肉じゃが、麻婆豆腐等々、具材を炒めてからダシや煮汁を絡ませる料理に使うと、しっかり煮汁が絡んで美味しく仕上がります。

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shogayaki_002.jpg

 

 

  ところで、TV番組「男子ごはん」を見ていると、ウォックパンが良く使われています。肉や野菜を炒めてから合わせ調味液で味を絡ませる調理にはウォックパンを使っています。さすがプロ、あまり知られていないウォックパンも使うのですね。

 

まとめ

 たまたま買ったウォックパンが便利で使い倒していたら、テフロンが効かなくなってきたので、新しいものに買い替えました。私は、一番安かったのでティファールのものを買いました。別にティファールでなくても、他のメーカ―のもの例えばビタクラフトでも何でも良いと思います。フィスラーは”アジアウォック”という名前で販売しています。

 あまり知られていないウォックパンですが、豚の生姜焼きなどを作るときは平らなフライパンよりも美味しくできます。ティファールのものは安いので試してみてはいかがでしょうか。

緊急事態宣言が解除される理由

 今朝、日経新聞を読んでいて面白かった。

 今日、緊急事態宣言が解除されるようですが、私は少し不思議だったのですよね。東京の感染者数は増加に転じ、宮城県は感染者数は最高値を出したのですから、リバウンドを警戒して解除をためらうかもと思っておりました。

 ところが、日経新聞に次の一文がありました。 

「解除は今週しかない。延長したら感染者が増えて解除できなくなるかもしれない」。閣僚の一人が協議後に語った。 

 (『「収束見えぬ宣言全面解除 首相「もう出したくない」 自治体・民間と連携不足』(日経新聞 2021年3月18日 朝刊))

 

 つまり、今後リバウンドしそうだから今のうちに緊急事態宣言を解除しておく、という発想ですね。これは、私は想定していなかった。

 

 さて、3月21日に緊急事態宣言が終わると、世の中は桜満開で花見真っ盛りの時期で、年度末の卒業イベントや年度初めの新人歓迎会など、イベントが盛りだくさん。そして5月にはゴールデンウイーク。このようにリバウンドの危険が高まる時期が今後やって来ます。だからこそ、今週で緊急事態宣言を解除しておく、というのは凄い発想です。

「死神の精度」(伊坂幸太郎)の感想:サラリーマンのような超越者である死神の会話が楽しい

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

 

 

 伊坂幸太郎の小説「死神の精度」は、千葉と名乗るとぼけた死神が人間と関わる六篇の短編からなる。

 この小説は、2004年に日本推理作家協会賞を受賞、2006年には本屋大賞第3位となっており、大いに売れた本だ。映画化もされている。

 

 この本を読んだ感想は、出てくる死神が一般にイメージするものとは大いにズレていて、このズレが面白さの基になっている、ということだ。だから、死神がどんな人物として描かれているかを意識して本書を読むと一層面白い。

 一般に死神は、人間に死を与える恐ろしいものというイメージがある。人間にとって、死神に出会うのは厄災であり、理不尽な死を与えられる。

 一方、本書の死神は、人間に対しては超越者であり、人に対して愛着や憎しみなど何の感情も持たない。ただ仕事(本書の中で死神は仕事をしている!)のために、人間と関わる。まるでサラリーマンのように。

 私は、人間の死についてさほど興味がない。(中略)

 人の死には意味がなく、価値もない。つまり逆に考えれば、誰の死も等価値だということになる。だから私には、どの人間がいつ死のうが関係なかった。けれど、それにもかかわらず私は今日も、人の死を見定めるためにわざわざ出向いている。

 なぜか?仕事だからだ。(中略)

 さっさと終わらせたいものだ。毎度のことながら思う。やるべきことはやるが、余計なことはやらない。仕事だからだ。 

 主人公の死神の仕事は、死神界の調査部から指定された人間を、死に適しているか調査・判定すること。もっとも、”人の死には意味がない” と考える死神にとって、人の死の判定は「精度」を必要とする仕事ではない。それでも主人公は、真面目に対象の人間を調査する。

 その調査のために交わされる人間と死神の会話の滑稽さが本書の面白さだ。例えば、以下のように。このようなやりとりが本書のあちらこちらにある。

「最近、雨が多いですね」 

「俺が、仕事をするといつも降るんだ」私は打ち明ける。

「雨男なんですね」と彼女は微笑んだが、(中略)

長年の疑問が頭に浮かんだ「雪男というのもそれか」

「え?」

「何かするたびに、天気が雪になる男のことか?」

 

「でも、甘く見てると意外に、吹雪、長引くかもしれねえよな」英一がぼそっと言う。

「甘い?吹雪に味があるんですか?」と私は感じた疑問を口にした。

 

 まとめ

 「死神の精度」は、人の死に関心のない死神が、調査のために人と関わる物語だ。人間にとっては超越者である死神も、死神界では下っ端サラリーマンのように描かれている。人に興味がないからこそ生じる、死神と人間との会話が滑稽さが本書の魅力である。

 

おまけ

 死神が仕事をするとき、いつも雨が降り、晴れることは無い。ところが、最後の短編「死神対老女」では、初めて死神は晴天を見ることになる。

 それはなぜか? 答えは示されていないので、様々な解釈が可能だ。

 私は、「死神対老女」では、死神が仕事をしていないことの暗喩だと思っている。老女が次のように言うことから、調査の結論を出したのは死神ではなく老女だと思える。

「わたしは、すごく大切なことを知ってるから」

「それは何だ」

「ひとはみんな死ぬんだよね」

「当たり前だ」

「あんたには当たり前でも、わたしはこれを実感するために、七十年もかかっているんだってば」

 

 

 

 

「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん)の感想:便利屋には怪しげな人が集まってくる

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

 

 

 小説「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん)は、直木三十五賞受賞をしている。また、TVドラマ化と映画化された。そして、続編「まほろ駅前番外地」、「まほろ駅前狂騒曲」も出版されている。

 つまり、人気作品である。

  

 この小説は便利屋を主人公にしている点がユニークで、これがストーリーの面白さの源泉になっている。

 あなたは、便利屋を知っているでしょうか? 身の回りの雑事を請け負う業者だ。庭の雑草抜き、遺品整理、花見の場所取り等々、雑事を請け負う。

 

 小説は、便利屋を一人で営む主人公の多田啓介が、老人の病院見舞を行うシーンから始まる。老人は認知症を患っており、その息子のフリをして見舞う仕事を依頼されたのだ。いくら認知症で息子が分からないからといって、世間体のために依頼された見舞いの代行をすることから、便利屋が胡散臭い商売であることが暗示される。

 便利屋が胡散臭ければ、それに仕事を依頼する客もまた怪しい人たちばかりだ。コロンビア人を詐称する売春婦、ギャング、女子高生等々が便利屋に関わってくる。そんな怪しげな人たちに囲まれる多田啓介は、意外に真面目だ。その真面目さ故に、厄介ごとに巻き込まれていく。

 

 そんな真面目な多田がなぜ便利屋をやっているのか?という点を意識しながら読むと、この小説は一層楽しめる。

 

 ある日、高校の同級生だった行天春彦が、便利屋の事務所に転がり込み、二人の生活が始まる。この二人を中心にエピソードが繰り広げられていくうちに、多田の心の中に埋もれている屈折した想いが明らかになっていく。キーワードは、“親と子供”。

 小説の初めの方で、行天が多田に言う次のセリフは、後で重要な意味を帯びてくる。

「多田が便利屋になったのは意外だった」

(中略)

「俺は、あんたは要領よく大学を出たあと、堅実な会社に入って、料理がうまい女とわりと早めに結婚して、娘には『おやじマジうぜえ』とか煙たがられながらまあまあ幸せな家庭を築いて、奥さん子供と孫四人に囲まれて死んで、遺産は建て替え時期の迫った郊外の一軒、って感じの暮らしをするんじゃないかと思ってた」

 

 一方で、行天春彦はかなりの変人として描かれている。飄々としていて何事にも関心を示さず、自分自身のことさえどうなってもいいと思っていそう。それでいて物事の本質を見抜く。上の“親と子供”というキーワードは、多田だけでなく行天にも当てはまる。共通点を持った行天と触れ合うからこそ多田の想いが浮かび上がる。

 

 ところで、TVドラマや映画の中の行天春彦役を松田龍平が演じている。この松田龍平の演技がとても上手い。変人 行天春彦を見事に演じている。

 また、行天春彦を松田龍平が演じたことを踏まえると、小説の中で多田の運転する軽トラックが狙撃された際の以下の部分も、関連が広がって面白い。

 その瞬間、フロントガラス一面に、蜘蛛の巣みたいな白く細かいヒビが入った。脳の片隅がやや遅れて、高い破裂音が響いたことを認識した。

(中略)

「なんじゃこりゃあ!」

多田は呆然とつぶやき、

「それ、誰の真似?全然似てない」

と行天は笑った。

上の「なんじゃこりゃあ!」は、松田龍平の父、松田優作がドラマ「太陽にほえろ!」で放った名セリフだ。父親のセリフに対して、「それ、誰の真似?全然似てない」と松田龍平が言うことを想像すると、愉快だ。 

 

 

まとめ

 三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」は、主人公を便利屋にした点が秀逸。これによって、胡散臭い人間の集まるストーリーが無理なく展開できている。一方で、便利屋の多田自身は意外に真面目で、そのギャップの謎を意識しながら読み進めると、一層楽しめる。

 

おまけ

 「便利屋 何でもします」とペンキで手書きされた小さな看板が、私の身近にある。それは、バス停に(恐らく違法に)くくりつけられており、風雨にさらされ色褪せている。一方で、このメモを書くために改めて「便利屋」でネットを検索すると、明るいイメージ写真を使った広告がたくさん出てくることに驚いた。

 その明るいイメージ写真と色褪せた手書き看板が頭の中で一致せず、困る。

 

まほろ駅前番外地 (文春文庫)

まほろ駅前番外地 (文春文庫)

 
まほろ駅前狂騒曲 (文春文庫)

まほろ駅前狂騒曲 (文春文庫)