青木 淳の「もう「できる人」はやめよう」を読んだ。これは、世間にあふれている「できる人」を追う姿勢に反対するもの。「できる人」を世の中がどれくらい目指しているかを知るために、試しにアマゾンで「できる人」を検索すると672件ヒットする。曰く、「「できる人」はどこがちがうのか 」、「なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?」、「できる人の 超★仕事術」、、、など。改めて調べてみるとその多さに驚く。
世の中に乗せられて「できる人」を追い求めるのは、思考停止に他ならない。そもそも「できる人」とは何かの定義すら無い場合も多い。
本書の著者はマッキンゼーに勤めていたいわゆる「できる人」であるが、そこで違和感を覚えたのであろう、「できる人」を追い求めることやめようと主張する。本書の中で、以下について述べている。
- 「できる人」を追う価値の少なさ
- 「できる人」を追う弊害があること
- なぜ「できる人」を追い求めてしまうのか?
「できる人」を追う価値について、著者は、人間の幸せとは多様な形があり、仕事の上での「できる人」という型にはまった評価尺度で人間を評価することは、意味が無い。それゆえ、そのような評価尺度での「できる人」を追うことは、自身の幸せに対する貢献度が低いと述べている*1。
さらに、「できる人」を追う弊害について、「できる人」を追うと他人に勝とうとするため、以下を挙げている。
- 他人のあら捜しをし、嫌なやつになる
- 他人に対して虚勢を張るため、他人からのアドバイスが得られない
- 過去の成功に囚われるため、新しいチャレンジに踏み出せなくなる
そんな益少なく害の多い「できる人」を何故追い求めるのかというと、著者は以下のように述べている。
常に自分を他人と比べてしまう発想である。自分が他人より上だと思うと気持ちよくて、見下せる他人がいると安心する。他人というモノサシが無いと自分のやっていることを肯定できない自身の欠如、心の問題である。
少々手厳しい指摘であるが、世の中のHack本が何が幸せか?を問わず、ただ「できる人」になるコツを記す中で、一考に値する。
http://d.hatena.ne.jp/kota2009/20090929/1254227496
以下、心に残った箇所を記す。
今の自分にあるもので精一杯やって、それでも不安感に苛まれる。この先ずっとそんな調子ならやめた方がいい。スキルが未熟な現在の状態でどれだけ仕事を楽しめるか、それが重要じゃないか。
過去に何を成したかで満足するのはもうやめよう。過去の成功など、色あせた写真で昔を懐かしむようなものだ。いまの自分で新しく挑戦する方がよほどエキサイティングだ。
自分の弱みを隠すのはもうやめよう。仮に隠しおおせても自分を欺くことは出来ない。どんなに人に評価されても賞賛を浴びても、自分が納得できなければ心の底では決して満足できない。
リーダーや管理職にある人は、以下の文章を丸暗記しても良いと思う。名言である。
人の粗探しに懸命になるのはもうやめよう。どんなに人に後ろ指を指しても自分が幸せになれるわけではない。自分の能力が向上したり人間としての魅力が増すわけではない。できないことをできるようにするには大変な労力がいるが、できることを応援してもう少し伸ばす方が簡単だ。執拗に減点してウンザリさせるより、小さな勲章で人を幸せな気分にしてみよう。幸せな気分こそ元気を生んで、さらに人を幸せにする余裕も生まれてくる。その余裕はいつかあなたの幸せに向かって返ってくる。
- 作者: 青木淳
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2004/08/20
- メディア: 単行本
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