kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



14歳からの社会学

「14歳からの社会学」(宮台真司)、これはあなたが14歳でなくても読んでおくべき本だ。社会学という学問は、一言で言えば人間関係に関する学問であると思う。本書は、人間関係について分かりやすく説明している。

「承認」と「理解」の食い違い
 自分本位の若い男の子が多いせいで、女の子たちは自分をちゃんと「理解」してくれる男の子を求めている。「自分がモテないのは(自分がフラれるのは)ルックスが悪いからだ」みたいに思っている男の子が多いけれど、女の子からすれば「とんだ勘違い」だ。
 でも、男の子たちも、単に自己本位というよりは、余裕がないんだ。余裕がないのは、男の子たちが「承認」を求めているからだ。「ボクはダメな男だ。ブサイクでセンスも悪い。それでも『そんなアナタがすき』といってくれる子はいないかな」みたいな感じだ。
 「承認」を求める男の子は、自分のことで精いっぱい。余裕がないので女の子を「理解」して上げられない。だから女の子は、自分を「理解」してくれる余裕が有る年長の男に向かう。そうやって女の子が離れていって、男の子はますます「承認」から見放される。

上の分析に覚えのある人は、多いのではないだろうか? でも、なぜ男の子は「承認」を求めるのだろう? この答えが本書にはある。この答えを直接示す代わりに、ここでは本書の内容をまとめておく。このなかから読み取って欲しい。そうすれば他の問いの答えも見つかるはずだ。

「みんな」の範囲がぼやけている

「みんな仲良く」など軽く使われる「みんな」という範囲の定義を考えたことがあるだろうか?本書によれば、二つの条件が必要である。

  • 集団の全てが「みんな」の範囲に合意していること
  • 集団にコミット(強く寄与)していること

ところが、現代はこの「みんな」の範囲が曖昧である*1

共通認識の欠如

「みんな」の境界がぼやければ、「みんな」の「共通認識」を持つことも難しくなる。例えば、電車ではお年寄りに席を譲るものだといった「みんな」の「共通認識」が怪しくなる。このように、他人に親切にする意味が分からなくなる*2。逆もしかりで、自分もだれかに親切にしてもらえるかどうかも曖昧になる。

自分に「価値」があると思えるか?

 人間は、他人からの「承認」がもらえないと自己評価が低くなる。「承認」をもらうには、様々な試行錯誤を行いながら、「承認」(他者から認めてもらうこと)してもらい、「尊厳」(失敗しても大丈夫)という気持ちを育てていく必要が有る。しかし、「共通認識」のない社会では試行錯誤なんてできないから、「承認」をもらえないし、「尊厳」も育たない。

幸せの条件は、以下である。

 人間の幸せな条件は、

  • 自由なこと
    • 選択肢があること(多様性があること)
    • 選択する能力があること
  • 尊厳があること(自分は大丈夫と思えること)

つまり、「承認」不足におちいった人間は幸せになれないということだ。

ルールの多い社会

「共通認識」がなくなると、マナーや大目に見るといった人間的なゆるさがなくなる。その代わり、画一的で多くのルールが出来上がる。例えば、未成年は飲酒禁止とみんな分かっているが、色んなところで大目に見られている。しかし、それは無茶でない範囲で行われていることを周りの「みんな」が分かっているから大目に見れるわけで、「共通認識」がなくなれば、画一的なルールを作り、厳密運用するしかない。

期待水準と願望水準

現実に何が期待できるのかが「期待水準」で、それとは別に自分が心の奥底で何を望んでいるのかが「願望水準」だ。現実はそんなものだと分かってくると、「期待水準」は下がってくる。そして時間がたつとこれに引きづられて「願望水準」も下がってくる。恋愛に対して、浅い付き合いを続けていると、「願望水準」の下がった状態、つまり「恋愛なんてこんなもんさ」的な態度をとるようになる。



14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

*1:ネットで知り合った彼は「みんな」の中に入っているのか?付き合ってる彼女(彼氏)は「みんな」の内にいるか?考えて欲しい。

*2:その他人が「みんな」の内にいるのか外にいるのか分からないんだから。