kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由

 技術系の人には是非読んでもらいたい本である。そして常識を疑って欲しい。

  • 論文を書くことは成果なのか?
  • 標準化をすることは成果なのか?

 論文を書くことは、学者*1にとっては成果であろう。一方、標準化をすることを成果だと考えている人間が多いことに驚く。IETFIEEEで標準化すると、自分の技術を世界に認められた気になるのかもしれない。名誉なことだが、世界はそうのんびりとは考えていない。産業界の研究者ならば、自分の技術の強い部分は標準化せず、弱い部分こそ標準化すると考えている。こんな当たり前のことが日本ではコンセンサスが取れていないようだ。

 本書は、標準化して名誉なことだと浮かれていてはいけないと言っている。

 本書の内容を乱暴にまとめると、世界中に製品を普及させる(デフュージョン)ためには、一社単独では難しい。そのためには、協業する会社を世界から選ばなければならない。その選択の武器こそが標準化である。人件費の高い安い、技術の有り無し、国の税制の違いなど国によって違いがあるからこそ、win-winのシナリオが描ける。そのシナリオを具現化する手段が標準化である。国内市場を立ち上げ次に世界市場を立ち上げるという従来のビジネスモデルが通用しなくなっている*2。国内市場が立ち上がったときに勝っていても意味は無い、世界市場が立ち上がったときに勝っている姿を描いて、標準化を進めるべきなのだ。

 PC、DVDプレーヤー、mp3プレーヤーなどが外国製品に押されて日本製品がシェアを落としている中、のんきな人はよくこう言ったものだ「海外の会社は、完成品は作れても中の部品は日本製なんだよ」と。
ipadの部品から日本製がなくなった。のんきな時代は過ぎ去ろうとしている。
http://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20100404-00000547-reu-bus_all

 本書の重要なメッセージを最後に記しておく。「日本製品が外国製品に負けている動きは、エレクトロニクス業界で始まったが他の分野にも広がっている。」

*1:大学の研究者をここでは学者と呼んでいる。

*2:国内市場と世界市場の規模の差が開いたため、相対的な国内市場の重要性が下がっていることに注意が必要。