kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



その考えは許されている

 録画していた「鈴木先生」というTVドラマを、遅ればせながら一気に見ました。主演は長谷川博己、ヒロインは土屋太鳳。wikipedia:鈴木先生
このドラマで心に残るのは、鈴木先生の「その考えは許されている」というセリフ。世の中には唯一正しい考え方(価値観)があるのではなく、様々な考えが共存するという信念が背景にある。たとえネガティブな考えであっても、「許されている」という信念が、このドラマ(原作)の背骨を貫いている。つまり、として、

  • 一つの価値観(自分の価値観)を絶対正しいと考え、自分の価値観を守るために異なる価値観の他者を否定する(往々にして他者の人格まで否定する)

そしてとして

  • 様々な価値観が共存する

という世界観を描いている。

 私は、理系であるせいか、正解が一つあるという状態が好きである。異なる考えがあると、どっちが正しいか白黒をつけたくなる。上述の世界観は、白黒つけることを否定する。

 また、共通の価値観に基づいて社会や組織は運営されるのだが、その価値観の共有をどう考えるべきか、このドラマを見ていると分からなくなる。たぶん、社会の構成員全員がその共通の価値観に賛成する必要はなく、なるべく多くの賛成が得られる価値観を選んで共有するということなのだろう。選ばれた価値観に反対のものは、価値観に反対することが許されている。一方、社会のルールは選ばれた価値観に基づいて作られ、例えその価値観に反対でも全ての人間はそのルールに従わなければならない。

 では、どこまでをルール化するか? が次の問題となる。
 もし、多様な価値観を許容するという戦略をとるならば、ルールは少ない方が良い。社会の共通価値観に反対する者も許容できる範囲内でルールを作ることになる。つまり、社会の構成員が従うことに同意できること、構成員の多数が快適に過ごせること、の相反する二つを高いレベルでの両立を目指すことになる。

 税金のように社会全体のために使われるリソース(社会リソース)を考えると、これをどのように使うかも価値観に基づく。そのため、多様な価値観が共存する社会においては、社会リソースは様々な価値観に基づいて消費されることになり、分散消費される。自分とは異なる価値観に基づいて社会リソースが消費されることは、一見無駄に見える。しかし、それも許されることになる。

まとめ

 「その考えは許されている」とは、多様な価値観が共存することを意味する。社会において多様な価値観が共存するためには、集団の全員が従うルールが必要である。そのルールは少ないほど多様な価値観が共存できるが、社会リソースが分散される。 

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

鈴木先生 完全版 DVD-BOX

鈴木先生 完全版 DVD-BOX