「ヤンキーもオタクも、思春期アイデンティティとして大して役に立たなくなってしまった」という記事には、考えさせられる部分が多い。「思春期アイデンティティ」、「カウンタカルチャ」、「サブカルチャ」という言葉に注意して読むと、一層おもしろい。私なりに簡単にまとめると、
そもそもアイデンティティを確立するには、他者と自分が異なることを自覚できれば良い。しかし、思春期の自我は弱いので、他者とは異なる自分たちが必要である。つまり一人では自立できないので仲間が必要である。その仲間たちがサブカルチャの仲間ということになる。
まとめ
一人では立てない、でも他者と同じにはなりたくない、という相反する想いを解決するために、少数グループに属するという行動が必要だとすると、思春期というのは面倒なものである。しかし、「その考えは許されている」で述べたとおり、社会というのはもっと面倒なものである。