IT分野では、1990年後半に「ユビキタス」という言葉がはやりました。政府もu-Japan構想などぶち上げていました。1999年くらいの学術論文にはよく「ユビキタスとは偏在するという意味で、コンピュータが身の回りにバラまかれて生活を支援する」というような書き出しがありました。もっとも、コンピュータをバラまいて何が嬉しいのかは誰も分からず、研究者はひたすら要素技術を研究していました。結局、世の中は、クラウドの時代となり、あの頃の研究って外してたよなっと感じます。例えば、様々な端末が出現するので画像のトランスコーディングが必要だっていうような研究がありました。当時の検討は、例えば10年たつと役に立たないことが殆んどである。それは、CPUの処理速度やメモリ量などの前提とするツールの性能が変わってしまうからである。
最近は、「ユビキタス」という言葉を聞くことは殆んどないが、その代わりに「ビックデータ」という言葉をよく耳にするようになってきた。ライフログ的に様々なデータを収集し、これを解析することで生活をサポートするという考え方である。一方、具体的には何が嬉しくなるのかは曖昧なままであり、「ユビキタス」の時代と非常に似ている。「ユビキタス」時代の経験をもとにすれば、以下を予測できる。
- 従来の研究が、「ビッグデータのため」に必要というまえがきから始まるようになる
- ビッグデータを利用してどう嬉しいかの具体的なことは曖昧なままとなる
- ビッグデータブームの陰で新しいトレンドが生まれるが、研究者はこのトレンドにはついていかない
私自身企業研究者として、ビッグデータブームの裏側で芽生える新トレンドに目配りをしておきたい。