宮台真司さんが携帯小説「恋空」に対して、「記号としての彼氏」という表現をしていた。この表現を目にしたのは数年前のことだったが、最近やっと意味が分かった気がする。
この時期は、クリスマスや、正月、バレンタインとイベントがいっぱいで、彼氏・彼女がいないととても寂しい思いをする。また、巷では「女子力」という言葉が多く使われている。「女子力」アップの努力、すなわち彼氏・彼女を得るために相応の努力をみんながしている。
あなたは「どんな人が好き?」と聞かれると、どう答えるだろうか?優しい人、可愛い人、面白い人、と色々あるだろう。もし、相手がどれくらい好ましいかを数値で表せるとしたら、その数値がある値以上だったら、その人とつきあうということになるのだろう。
プログラムで表すと
int
hyouka(a)
{
// 異性の好ましさの評価関数
}struct t_koibito*
koibitoErabi(man[])
{
#define GOUKAKU 60
for(i=0,p=man[i],i
上のように表すと、彼氏・彼女って評価関数である程度の点が出れば、誰でもよいということになる。すなわち、可換な存在。プログラムで書くと
struct t_koibito *koibito;
koibito= koibitoErabi(man);
if(koibito==NULL){
exit(ENORESOURCE);
}
while (koibito!=NULL){
do_event_with(koibito);//クリスマス、お正月、バレンタイン,,etc
}
恋人変数があって、その変数があれば楽しく過ごせるという考え方が、宮台真司のいう記号としての彼氏。
記号としての彼氏・彼女で何が悪いの?と思う人はいるのかな?
誰でもよい人と付き合ってる、あるいは相手は誰でもよいと思ってあなたと付き合ってる、そんな状態が記号としての彼氏・彼女である。あなたより評価関数の大きな人を見つければ、当然その人が恋人変数に代入され、あなたは上書きされることになる。
- 作者: 宮台真司
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