作家の東野圭吾氏、漫画家の弘兼憲史氏らは12月20日、紙の本を裁断してスキャナーで読み取り、自前の電子書籍を作る「自炊」の代行業者2社に対して、「著作権侵害の恐れがある」として、スキャン行為の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こしました。
提訴したのは、東野、弘兼両氏のほか、作家の浅田次郎、大沢在昌、林真理子、漫画家の永井豪、漫画原作者の武論尊の各氏の計7人です。
http://blogos.com/discussion/2011-12-21/jisui_daikou/
この記者会見の様子はYoutubeから見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=XzoD0rI8W6E&feature=player_embedded
この会見で語られた作家の主張は、ほぼ完ぺきに「スキャン代行業者提訴で作家7名はかく語りき」に書き起こされている*1。これらの作家の主張を聞いていて感じることを記します。
インターネットというモンスター
20世紀の後半に、インターネットという、まぁ“モンスター”が現れまして
僕も含めてなんですが、インターネットとか電子の世界にまったく疎く、ついて行けない方は結構おられると思います。
といった発言を見ていると、作家自身が考えも及ばない所で好き勝手されることへの不信感を読み取ることができます。至極まともな感覚だと思います。おそらく、作家の収入が減ることへの不満よりも、この不信感のほうが大きいのではないかと想像します。
インターネットエンジニアの私でさえ今後なにが起こるのか予測できないとあきらめていますから、このような作家の不信感を解消するのは相当難しいでしょう。
切り刻まれた本を見るのはつらい
裁断された本、私はあれを正視に堪えない。自分の書いた本があのように手足もバラバラにされ、
そこに本当に無残な本の姿がありますが、本屋の娘として、物書きとして、“本”というものの尊厳がこんなに傷つけられる世の中になるということをとんでもないことだと思っております。
何度か「裁断」という言葉が出ましたけども、それを聞く度に非常につらい思いをします。一冊の本が作られるのに、本当に一生懸命、いろんな人間が努力しております。
作家から見れば、裁断本を見るのは本当につらいです。本当に、もうちょっと本を愛してくださいといいたいです。
このように、切り刻まれた本を見るのはつらいという主張が多い。私のような技術屋視点で見れば、小説や漫画の中身(コンテンツデータ)と本(メディア)は独立なので、紙が切り刻まれても中身が辱められたわけではないと思います。しかし、ずっと紙で仕事をしてきた作家の視点で見れば、中身(コンテンツデータ)と本(メディア)が不可分なものと感じられるのでしょう。そう思えば、自身が努力して生み出したものを切り刻まれたと感じて、つらく感じる気持ちは理解できます。
絵のクオリティ
私たち漫画家は、1枚1枚の原稿を手作業で書いています。それを紙に印刷して、読者に楽しんでいただくことを前提に創作しています。機械部品のように自動的にベルトコンベアーを使って制作しているわけではないのです。丁寧にオリジナル性を大切にデジタル化されるならまだしも、大量に、一括して処理されれば質も落ちるでしょう。読めればいいという文化ではないつもりです。文字だけではなく、絵の部分も味わってください。作品全体を楽しんでください。
この部分に私は大いに興味を持ちます。スキャンした際の(絵が斜めになる、ゆがむなどの)劣化が悲しい、という主張です。丁寧に書いた絵が歪まされて読者に届けられるのは、作家として悲しいという気持ちを、これまで私は想像したことはありませんでした。
まとめ
「自炊」の問題の関係者には、作家、出版社、本の購入者、自炊代行業者、本のスキャンデータ利用者が存在する。このうち作家は収入が減るために「自炊」に反対するという意見を多く目にするが、作家の意見をよく聞くとそればかりでもないと感じる。技術者でない作家が、
- 自分の知らない所で思いもよらないことが行われていることに、不信感を感じ、
- 中身(コンテンツ)と本(メディア)は不可分であり、それを破壊されることで、悲しみを感じ、
- こだわって描いた絵が歪められて読者に届けられることに、憤りを感じる
と推し量ることができる。