kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



いじめとセクハラ

 大津市の皇子山中学の中学生が自殺した。いじめが原因だと言われている。学校長の記者会見のまずさもあり、大きな反響を呼んでいる。色々と考えてみると、いじめの対応は実にやっかいであると思うようになった。

 通常の問題解決手法を当てはめると、以下のステップが考えられる。

  1. いじめの定義・基準の明確化
  2. いじめが発生した際の、対応ルールの明確化
  3. いじめ発見のプロセスの定義
  4. いじめ発生数低減のプロセスの明確化

 いじめを定義しようとすると、これが結構難しい。例えば、セクハラでは、「相手が厭と思ったらその行為はセクハラ」と定義されることがある。この定義で生じている問題は、逆セクハラが起こることである。つまり、「厭」と言うだけで他者を悪人にする暴力が発生する。いじめをどのように定義しても、このセクハラと同じことが起こりそうである。

 また、いじめが起こった時にどう対処すればよいのかも決めづらい。いじめの加害者をどう罰するか?どう更生させるか?妙案が私には浮かばない。なので、例えばエントリ『「いじめをなくす」から「いじめはなくならない」に発想を転換すべき〜教育現場にリスクマネジメント手法を導入してはいかがか』のような考え方をしても対処の方法を決めづらいので、解決にならない。

暴力行為や万引きの強制など重度のいじめが発生したならば、その行為をただちに抑制、精査の上犯罪行為と判断された場合、厳格な基準で評価したうえで必要なら警察にただちに通報いたします、この場合はリスクは教育現場から、警察にリスク移転されるのです。

大津市の件では、警察が被害届の受理を拒んでいたことを忘れてはいけない。

 学校が特別な場という意識を教育関係者が捨てることが必要かもしれない。誰かに暴力を加えられれば、被害者は教師ではなく警察に通報する。警察は学内でも学外でも暴力を事件として処理する。「処理する」という対応が大切なのかもしれない。