kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



就職できない時代の大学経営

 大学の許認可問題で、にわかに大学のあり方に議論がなされている。頭の体操がてら、私もこの問題を考えてみた。

大学を巡る関係者には大きく、以下が存在する。

  • 大学側(経営者、教員)
  • 学生
  • 社会(政府、納税者)

 大学側は、学生に授業料をもらい教育というサービスを提供している、というのが建前だ。一方で、大学側は、社会から補助金をもらい、社会を豊かにする人材を社会に提供する、というのが建前だ。

 さて、大学側は学生と社会の夫々にこれらのサービスを提供できているだろうか? この視点から大学問題を考えてみたい。

 学生に対する教育サービスという点では、学生は勉強熱心なのかが問題となろう。大学生は良い大人なんだから勉強意欲のない学生は、さっさと卒業してもらえば良いというのが、一つの考え方である。ところが、社会から補助金をもらっていることを考えれば、卒業生の人材としての出来栄えが問題となり得る。もっとも日本の経済が強かったころは、人材の出来はあまり問題となっていなかった。それは、学生が就職後の企業内教育で人材として磨かれていったため、社会を豊かにする人材として成果を上げていた。ところが、今や日本は、就職氷河期である。大学を卒業した半分が正社員となれない時代において、社会からの補助金は有効に活用されていると言えるか疑問である。社会からの補助金の投入効率という点からは、そろそろ大学の数を減らした方がよいのではないかと意見が出るのは自然である。

 もちろん、社会からの補助金の効果を測定するには、長い目で測定することが必要である。一方で、バブル崩壊から20年経っていることを思うと、大学側(というよりも大学教育会)のこれまでの補助金の効果をいったん総括できるだけの十分長い時間が経過しているように思う。このためには、大学経営における少子化対策という視点だけでなく、小就職率化時代における大学経営のあり方という視点も必要であろう。これまで少子化対策として博士課程の学生を増やしてきた大学側は、博士課程の卒業生であっても就職は難しいことを十分知っているはずだ。そういう意味では、小就職率化対策は難題である。