写真を撮るとき、みんなが見返すような写真を撮りたいと思っている。
たぶんそれは、印象的な写真なのだと思う。でも、インターネットには印象的な写真が溢れているのだから、さらに何かが必要だと思う。その何かとはなんだろう? 決定的瞬間といった偶然の産物かもしれないし、素晴らしい構図といったテクニック的なものなのかもしれない。
そんな何かを考えていて、“暗黙知”という言葉に行き着いた。何かを経験した身体性に基づくものそれが“暗黙知”である。一般には、暗黙知を他人に伝えるには形式知化する必要があるけど、暗黙知を暗黙知のまま伝える手段が写真なのではないかとふと思った。写真を通じて撮り手の暗黙知を他人と共有することができるのかもしれない。
正しく暗黙知を伝えるために撮影テクニックは必要であり、さらに伝えるべき暗黙知が撮り手になければいけない。暗黙知を増やすことが撮り手に必要だということだ。