kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



1を10に、100を1に これがインプットとアウトプット

 「文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい」というエントリが興味深い。

自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。そして、経験はすぐに枯渇する。インプットがない状態では、恒常的に文章を書き続けるのは不可能だ。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。本当に必要なのは、100を1にまとめる能力だ。

という主張に同意です。知識がない人のブログは「楽しい」「おいしい」などの感想のかたまりであることが多い。自分の中にある情報が少ないため、出せる言葉がないのだろう。

文章を書く際の知識の大切さを以下のように述べている。

『まおゆう』を読めば、著者・橙乃ままれさんの広範な知識に驚かされる。中世〜近代のヨーロッパ経済史、技術史、文化史、思想史、軍略……これらすべてに精通していなければ、この作品は書けなかった。一朝一夕で身につくものではない。知識は、息するように吸収し、血液のように絶えず自分の中を循環させておかなければいけない。

 しかし、知識を身に着けるというのは、なかなか難しい。世の中には一を聞いて十を知る人というのがいるが、十を聞いて何も残らない人もいる。その違いはなにかというと、「決めつけない」ことだと私は思う。
 情報には必ず意見がついて回る。例えば、「あの会社の残業時間は80時間である」という情報に対して「あの会社はブラック企業である」という意見がついて回る。このとき、「あぁ、あの企業はブラック企業」だと決めつけてしまう人は、世の中の会社をブラック企業とそうでない企業の二つにしか分けることができない。決めつけない人は、残業時間が80時間とは平均と比べて多いのだろうかとか、今の残業時間は昔と比べて増えているのだろうかとか、様々なシミュレーションを頭の中ですることができる。この差が1を聞いて10を知るかどうかの差だと思う。

 知識を得るためのインプット作業では1を聞いて10を知り、文章を書くアウトプット作業では100を1にまとめる、こういうものだと私は思う。