世の中、リーダーを目指す人で溢れている。キーワード「リーダーシップ」でAmazonにて検索をすると、1万2千件がヒットする。東京大学には”グローバル・クリエイティブリーダー特別講義”があり、慶応大学には”グローバル環境システムリーダープログラム”がある。他の大学もリーダー育成の広義を行っている。
なぜ、皆がリーダーシップを教えようとするのだろうか?なぜ、皆がリーダーを目指すのか?まるで「リーダーにならなければ大した価値がない」といわんばかりである。なにかに抜きんでることだけでは十分でないというのであろうか?協力者、チームの一人であること、また、一匹狼であることさえ、時として建設できてであるのに、個人や組織からリーダーになれと強く勧められるのか?まるでリーダーという群れに盲目的についていく集団のようである。
本書によれば、
人間社会は、弱い者も居れば強いも者もいるという前提で、いつも秩序を保ってきた。
(中略)
リーダーとフォロワーとの関係も同様に、リーダーが支配し、フォロワーが尊敬を持って従うのが、つい最近までは当然とされていた。
つまり、世の中には強いリーダーとそれに従うフォロワーの2種類の人種があるという前提で社会秩序が保たれていたということだ。しかしながら、リーダーシップとフォロワーシップの関係は徐々に進化し、リーダーに対する尊敬の念が薄れてきている。
フォロワーである普通の人々の権利意識は、「得るものはより多く、与えるものはより小さく」というように強くなっている。
かつては、360度の評価等無かった。この評価では、なかんずく部下が、上司の気質、技術、能力等、多岐にわたって評価する用に言われる。
このように、リーダーの力は提言し、フォロワーが力を増している。
このように、リーダーとフォロワーの関係が変改していく中で、発達したのがリーダーシップビジネス(リーダーになるための教育ビジネス)である。発達した理由は以下。
リーダーが弱くなり、フォロワーが強くなったという変化と、状況がますます複雑になったという歴史的な流れ
リーダーシップは、私たち人間の原始的な衝動の奥深くにしみ込んでいるからだ。私たちは力、権力、影響力を持ちたいと渇望し、また、同時に、賢くうまく導かれたいと望んでいるからだ。
このリーダーシップビジネスは次の前提に基づいていた。
- 誰でもどんなことも学べば必ず習得できる
- リーダーであることは、フォロワーであることとは比べ物にならないほど、それ自体が良いことである
- 結果を左右するのはリーダーである
しかしながら、リーダーシップ教育に必要な二つの要素が、実は確立されてはいない。
- いかに人を率いるかを学ぶ実践教育
- リーダーシップとはなにかについての理論研究
特に、後者のリーダーシップ理論研究はまったく未熟であり、リーダーシップを測る数量的な基準はまったく確率されていない。
リーダーシップ教育とは何を学ぶかと言えば、つぎの4つが挙げられる。
- リーダーはコミュニケーション術、交渉術、意思決定術のような一定の技術を学ぶ必要がある
- リーダーは認識術、特に自己認識力を養うべきである
- 人を動かしたり管理したりする経験を持つべきである
- 善悪の違いを学ばなければならない
特に最後は倫理と呼ばれる領域であり、倫理を教える術を世の中は持たない。
本書では、次のようにリーダーシップビジネスの行く末を案じている。
利益を最大化するという限界のある目的にたっている限り、どんなリーダーシップ人材育成社内研修でも、狭量なリーダーではなく、大きなリーダーシップ像を描くのに必要な、広範な基礎に立った客観的立場の教育経験を参加者にもたらすことが出来るわけはないのでだ。
このリーダー中心主義と、状況を企業環境だけに特化するという二つの弊害の組み合わせは、民間企業に特に浸透している。
- 作者: バーバラ・ケラーマン,Barbra Kellerman,板谷いさ子
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2013/03/01
- メディア: 単行本
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