kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



白ゆき姫殺人事件

 「白ゆき姫殺人事件」は、「贖罪」で有名な湊かなえさんの小説だ。
 殺人事件が発生し、その犯人が次第に明らかにされていく。
 小説の形式には、一人称形式と三人称形式の二つの形式がある。村上春樹のほとんどの小説は、一人称形式で描かれている。

37歳の僕は、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェーの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして18年前(1968年)の学生時代のことを回想した。

直子とはじめて会ったのは神戸にいた高校2年のときで、直子は僕の友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、僕はある女の子と付き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。僕のやるべきことは、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くことだった。

(wikipedia:ノルウェイの森より)


主人公が、「僕」の視点でストーリーを展開していく形式である。この形式では、読者が「僕」の立場に立って、ストーリーを追体験できる。一方で、「僕」が見てないものは記述することができないため、伏線の張り方が難しい。
 三人称形式で描かれた小説の例は、半沢直樹の「ロスジェネの逆襲」(池井戸潤)を挙げる。

電脳雑伎集団の平山が夫婦で訪ねてきたのは、十月のとある月曜日のことであった。

 二〇〇四年、米大リーグでジョージ・シスラーの持つ年間最多安打記録をイチローが破った翌週のことである。

半沢直樹が、重要な顧客だけが通される第一応接室に出向いたとき、すでに次長の諸田祥一と森山雅弘のふたりがいて、IT企業の電脳雑伎集団を率いる平山一正社長と、その妻で同社副社長の美幸夫人の相手をしていた。

(ダイアモンドオンラインより)


登場人物以外の第三者により、ストーリが語られる。そのため、全体を俯瞰した視点でストーリーが語られるため、表現の幅が広いのがこの形式の特徴である。


 さて、本書「白ゆき姫殺人事件」は、登場人物を記者が取材するという形態をとることで、複数の登場人物が独話するという形式をとる。その登場人物にとっての一人称形式ということもできるし、複数の登場人物が語るという点で三人称形式と呼ぶこともできる。
 このように一人ひとりの独話が進むに従って、殺人事件の構造が明らかになっていき、最終局面で一気に犯人が明らかになる。読み進めながら、誰が犯人なのか?と考えるだけでなく、何故この事件は起こったのか?何故彼女は被害者になったのか? この3点を考えながら読み進めることを勧める。

まとめ

 本書は、描写のスタイルを楽しんでほしい。そして、このスタイルで可能になったストーリ展開を楽しむことを勧める。