kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



等身大に痛がる

 体が痛いとき、痛い部分と関係ないところにも力が入ります。力が入ることで、痛さが何倍もあるように誤解します。
注射を打たれるとき、痛いのは腕に刺さった針の先だけです。それなのに、肩に力が入っています。あるいは、胃カメラを入れられると辛い。体中が固くこわばります。うぁ苦しい。
そんなとき看護師さんが「力を抜いてくださいね」と声をかけてきた、そんなことできないよと感じます。しかし、冷静に自分を観察すれば、痛いのは、のどと胃だけです。つまり、こぶしを握り締めたり肩に力を入れたりする必要はないのです。こぶしを開き、肩の力を抜いてみると、最初は体中痛かったように思えたものが、実際はのどと胃だけであることに気づきます。いままで感じていた痛みは大げさであったのです。
 
 心が痛いときも、少し冷静になると、ある一部の痛みが心全体の痛みのようになっていることに気づきます。
 例えば、誰かに自分の意見を否定されたとき、悔しさを感じます。ひどく悔しいときに自分を観察します。自分が否定された意見は、一つであることに気づきます。一方、自分はたくさんの意見をもっていて、ます。食事のこと、趣味のこと、仕事のこと、様々なものに対してたくさんの意見を持っていて、その中の一つが否定されただけなのです。それなのに心全体が痛いように感じています。
 少し冷静になって、心のどの部分が痛いか観察します。痛い部分が分かったら、それ以外の部分もたくさんあることに目を向けます。痛みが大げさだったことに気づきます。
 
 人間の反射的な反応とは面白いものです。体が痛いとき、反射的に全身がこわばり、体中が痛いような感覚になります。それと同じように、心の痛みも、反射的に心がこわばり、実際以上に痛みを感じます。どこが痛いのか観察してみると、痛みの大きさも少しであることに気づきます。

 「反応しない練習」(草薙龍瞬著)を読んでいて、そんなことに気づきました。反射的に反応すると、実際以上に痛みを感じるものです。そして、心というのは反射的に反応しがちです。