kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



オタクは「いいね」の夢を見るか?

 なるほどオタクは死んだわけだ。なぜなら、1人ではいられなくなったから。 」(シロクマの屑籠)
 
 オタクにはコンテンツと一人で向き合う時間が必要である。しかし、スマホSNSの普及でオタクはコミュニティに組み込まれてコンテンツと向き合う時間が今や無い。ゆえに、オタクは危機に瀕している。これが上の骨子だ。
 
 これを読んで、私は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(フィリップ・K・ディック)を思いだした。科学が進んで生物そっくりのアンドロイドが作られる世界で、アンドロイドが狩られている。アンドロイドを狩る主人公が次第に人間とアンドロイドの区別がつかなくなる。人間とは何か?
 
 オタクとはなにか?コンテンツと一人で向き合う者だ。コンテンツを楽しんだ後、長時間にわたって、そのコンテンツについての自分の感慨や考察を1人で温めて発酵させる者だ。これにより、オタクの中でオリジナルな自己主張が育まれていく。
 
 SNSに触れるオタクは、アニメ好きのコミュニティに触れ影響を受ける。他人からの影響だ。同好の士が集まることで意見が先鋭化する(サイバーカスケード)。つまり、コミュニティにより自分の意見が変わるのだ。
 コミュニティの影響に負けない確固たる意見を持つためには、一人で考察を発酵させる時間が一層必要だ。しかし、その時間そのものがSNSに奪われている。
 
 SNSにより時間が奪われ自身の意見を発酵させることができず、コミュニティからの影響を受けて自身の意見が曲がる。オタクも一般人も同じだ。自分ならではの意見や主張ができずにSNSに飲み込まれていく。コミュニティの意見だけが育っていく。