kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



自主性の乏しさは罪である、自主性を求める社会

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 自主性のあることが尊ばれる風潮があるけれど、自主性がなくても別にいいじゃないかという記事。

 

 ま、本当のところ自主性がなくても別にいいだろうし、どんな性格であっても人に迷惑をかけるわけでもない。実際、女子は自主性がなくても非難されないし、むしろ自主性が無く男性に付き従うことが美徳とされている。

 このように考えると、自主性が必要だとプレッシャーをかけられるのは、男子が主だといえる。

 

 この自主性尊重の風潮はどこからきているのだろうか?

 ここには、二つの側面がある。一つは、会社の組織で求められる性質という側面。二つ目は、女子から求められる性質という側面。

 

(1)会社から求められる側面

 日本だけに限らず欧米先進国では大量生産といった従来型の仕事の仕方が行き詰まっている。アメリカ型の会社では、従業員一人一人に明確に決まった仕事が割り当てられており、その範囲内で仕事をすればよかった。今やそんな働き方は、レストランやスーパーマーケットのようなごく一部の簡単な職業にしか通用しない。

 会社を取り巻く外部環境の変化は速度を増し、あらかじめ決めたジョブディスクリプションは役に立たない。そのため、組織も階層構造をなるべく減らし、フラットな組織にして、リーダーのような役割を固定せず、メンバー一人一人が自律的に動く組織が良い組織と言われ始めている。 

ネットワーク組織―社会ネットワーク論からの新たな組織像

ネットワーク組織―社会ネットワーク論からの新たな組織像

 

 

 また、こういった自律的に動く人間にはモチベーションが大事になる。他人から強制されて動くとき、人は決められたことしかしないため、本人の内なるモチベーション(内発的動機)で動く人間が求められる。そういったこともあって、モチベーションに関する本が流行ったりもしている。 

 

 このように、ビジネス環境が変わってきたため、自主性のある人間が会社では求められるようになっている。適材適所という視点で言えば、自主性のない人に適した椅子がどんどん減っている。

 

(2)女性から求められる側面

 「日本男子」。この言葉には強い意志と使命感を持った男子のイメージがある。もともと日本では男子というのは自主性があるものと決めつけられている。そして何かを成す男子が尊敬されている。

 このステレオタイプの価値観は今でも女子の間に根強く残っている。

 臨機応変に機転が利き、人が思いつかないような事を考えつく、そんな男子をみんな好きだ。のび太よりデキスギ君が女子は好きでしょ?

 

 女子が自主性のある男子が好き。だから、男子は自主性の強弱は、優劣につながるのだ。

 

まとめ

 シロクマさんのブログを読んで、自主性について考えた。

 本来、自主性なんか無くなって誰かに迷惑をかけるわけではないのだが、自主性が求められる理由がちゃんとある。

 一つ目は、ビジネス環境が変わって会社で自主性が強く求められること。二つ目は、女子が自主性を男子に求めること。

 こうやって自主性が求められるのだから、自主性のある男子はエライのだ。