kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「たとえ」を使った論法への反論は、「たとえ」をやめるようお願いすることだけ

togetter.com

 

  大学を選別し有望そうな大学に政府からの助成金を多く出す「選択と集中」を批判しています。この批判に「たとえ」が使われています。「ハズレ馬券を買わずに当たり馬券だけを買えば、絶対儲かる」というナンセンスな作戦を引き合いに出して、「集中と選択」はこれと同じだと言っています。

 

  「たとえ」を使うことは難しい。

   Aを説明するためにたとえとしてBを使う際には、まずBを納得させて、さらにAとBの類似性を納得させる必要があります。ところが、AとBの類似性を納得させることは実際はかなり困難です。

  上の記事では、Aは大学の予算配分に「選択と集中」を行うナンセンスさ、Bは当たり馬券を買えば確実に儲かるという支離滅裂さ、に相当しています。記事の反応を見ると、やはり大学の予算配分と馬券の買い方の類似性に納得感が無い様子。

 

  一方で「たとえ」を使った説明を聞いた側にも、反論の難しさがあります。

  「たとえ」が成立するには、AとBに違いが必要です。違いがあるにも関わらずAとBの類似性性を納得させるという、矛盾した論法が「たとえ」です。つまりAとBに違いがあるのですから、相手からAとBは違うという反論が常に可能です。ですから、AとBは違うと反論しても意味がありません。

  ではどんな反論が可能なのでしょうか? 「たとえ」の論法を抽象的に表現すれば、「Bは成立、かつBイコールA、よってAが成立」というものです。「BイコールA」に反論しても無意味であれば、「Bは成立」に反論するしかありません。しかし相手は明らかに「Bが成立」するものを用いてきますので、これも難しいでしょう。

 

  こう考えると、相手が「たとえ」を使って説明をしてきたときにできる唯一の反論は、「たとえ」を使わずに説明して欲しいということだけです。