kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



お気に入りのコーヒー豆屋がなくなり、独立するリスクを教えられた

 社畜となって自分を殺して生きていくか、フリーランスとなって自分のやりたいことをやって生きていくか。紋切型でありよくある葛藤だ。

 お気に入りのコーヒー豆を売る店があった。小さな店ではあるが店主の拘りが店の隅々まで行き届いていて、心地よい空間になっている。僕はそこでコーヒー豆を買うのがお気に入りだ。ガテマラ、ブラジル、キリマンジャロ、その季節季節で好みのコーヒー豆をオーダーし、焙煎してもらう。コーヒー豆の焙煎には15分ほどかかる。その15分間を、店の小さなテーブルで本を読みながら待つ。コーヒー豆の炒られる香りが店中に広がり贅沢な時間が流れる。
 店主はたくさん喋るタイプの人間ではない。僕から話しかけない限り最小限の会話しか交わさない。しかし、コーヒーに関して僕が訪ねると、遠慮がちではあるが信念のある意見を語る。豆の引き方、湯の注ぎ方、などなど。
 店は繁盛していた。僕がコーヒー豆を買いに行くと、大抵先客がいて彼らの焙煎が終わるのを待っていた。僕が焙煎を待っていると、新しい客がやってきて僕の隣で彼の焙煎が始まるのを待っていた。店主は彼らに対して「いつもありがとうございます」と言っていた。常連なのだろう。僕だって常連だ。

 しかし、そのコーヒー豆屋は店を閉めることになった。商売がうまくいかなかったわけではない。店主が体調を崩したためだ。 
 コーヒ豆屋の店舗の家賃はいくらだろう?小さな店だから月に15万円くらいだろうか。店主は体調を崩し店を休んだ。その間、月15万円のコストがかかっていく。3か月も休めば50万円近くのコストがかかる。
 店主は店を手放す決断をした。体調の回復が見通せない中で、月15万円のコストは無視できない。
 こうして僕はお気に入りのコーヒ豆屋を失った。

 僕は会社勤めをしているサラリーマンだ。だから体調を崩したって、1年近くは休職することができる。その間は、店舗の家賃はない。それどころか手当としてわずかながら収入を得ることもできる。サラリーマンのセーフティーネットは手厚い。社畜と言われても構わないと思った。