kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



オンリーワンの呪い、自己肯定を巡る迷路

anond.hatelabo.jp

短い記事が多くのブックマークを集めた。

  「自分にできることは他人も当然できる(、だから自分には価値がない)」って思っちゃうんだけど、どうしたらいい?

 

あなたは、何と答えますか?

 

 ブックマークのコメントを眺めてみると

 自惚れと嫉妬をギッコンバッコンしながら若い時代を過ごして、30半ばくらいで振り返ったとき「拙いけどよく作ったなあ」みたいに思うのが自己肯定感な気がする。

 

ちょっとでも何か達成できたら「え?自分結構すごくね?」って心の中で何回も唱えてみると、自己暗示で自己評価が高くなってくる。次第に自然と自分のいいところが見つけやすくなっていくよ。 

 

 犬はお前を絶対的に肯定してくれる。猫はどんなことがあってもお前を否定しない。

 

1つのことを5年くらいコツコツ続けると周りにほとんど人がいなくなって、自分が一番できる人になってたりする。ニッチでもいいから好きなことコツコツ続けるのオススメよ。好きで続けられることが強みになる 

 

 価値の有無と自己肯定感の有無

 こういうのを読んでいると、価値の有無が自己肯定感の有無と連動しているように思える。”私は価値がある、だから私は私を肯定していいんだ”、”私には価値が無い、だから私は私を肯定できない”という具合に。

 

価値って何?

 自己肯定感の根っこにある価値って何だろう?

 物の価値なら簡単だ。スマホの価値は、私を楽しませるかどうか。本の価値は、私の役に立つかどうか。そう、私の役に立つかどうか、これが物の価値を決める。

 他人の価値も簡単だ。良い格好するのは無しだ。アイツが、私の役に立つなら、アイツは価値がある。彼が、私の役に立たないなら、彼には価値は無い。

 

 じゃ、私の価値って何?私が、私の役に立つこと? 日本語としておかしいよね、これって。アイツにとっての私の価値なら、簡単だ。私が、アイツの役に立つかどうかだ。でも、私にとっての私の価値は定義できない。自己再帰的。

 

オンリーワンという呪い

 ”ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン”という歌があった。ヒットした。世間の共感を得たのだろう。

 オンリーワンって何だろう? 他人と違いのあることが価値を持つ、と言っているように思える。また価値に戻った。どうにかして、自分の価値を測りたいのだろう、人間ってやつは。

 

価値に拘るのが人間なのか?

 人間だから価値に拘るんだと思ったら大間違い。人類が生まれて20万年。その長い歴史の中で、価値に拘りだしたのは資本主義が始まった頃からだと思う。たった200年ほど前の話だ。

 資本主義のお約束は、みんなが”経済は成長する”と信じること、”儲けた金はもっと儲けるために使う”こと(「サピエンス全史」を読んでね)。こうして競争社会が始まった。同時に価値も始まった。

 

教育の呪い

 ”価値ある人間になってね”と親に育てられると悲劇だ。たった200年前に始まった「価値」という牢獄に精神が捕らわれる。親は、社会の役に立つ人間になって欲しいというつもりなのだろうか。社会なんて実体のないものに対して、役に立ったとか立たないとか分かる筈がない。分かりようがない抽象概念に縛られるのは、苦しみだ。

 価値で縛るのは親だけじゃない、学校だって君に刷り込んできたはずだ。”勉強しないと、価値ある人間になれないよ”って

 

再び、価値ってなんだ?

 自己肯定感がないとき、自問自答して欲しい。”価値とはなにか?”と。

 考えたって答えは出ない。そもそも答えは無いのだから。

 大切なのは、「私の価値」について考えているとき、誰にとっての「私の価値」を考えているかはっきりさせること、そして私にとっての「私の価値」などという概念が存在しないことを知ること。それには、自分の頭で一生懸命”価値ってなんだ?”と考えるのが結局近道だ。

 

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

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サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福