レトリックとは、“比喩”あるいは言葉の”あや“のこと。メタファーとも呼ばれる。これに似たものに例え話がある。
レトリックには様々な技法があり、これは「レトリック感覚」(佐藤信夫)によくまとまっている。ネットの情報は断片的で浅い知識で書かれていることが多いので、レトリックに興味のある人は本書あるいは著者の佐藤信夫の他の本を読むと良い。
この「レトリック感覚」を読むのは3度目。1度目ではよく分からなかったことが繰り返し読むと分かってくる。逆の言い方をすれば、繰り返し読むことに耐える本と言える。
レトリックを使用する目的は3つあると、佐藤信夫は主張している。
- 他人を説得するため
- 芸術的あるいは文学的な表現を行うため
- 新しい認識に表現を与えるため
3は分かりづらいので補足しておく。
言葉の数は有限であるため、無数ある感情や思ったことを表現しきれない。そのため、何か情景を見た際に新しい感情や認識が浮かんできた際には、古い言葉や表現では足りず、レトリックにて表現する。例えば、
「危ないじゃない。」
律子は自分の声がくさび形に時彦の背中に突き刺さっていくのを感じた。
(「レトリック感覚」、第1章 直喩 より)
論理的には、声は、音だから背中に突き刺さったりしない。書き手の認識としては、「危ないじゃない。」という声が時彦の心に強いインパクトを与えた認識があったのだろう。これを表現する言葉がないため、「声がくさび形に背中に突き刺さっていく」というレトリックを使った。
ところで、このエントリを読んでいる人は、上の1の他人の説得に興味がある人も多いだろう。人を説得するには、いくつかの型がある。
- 現状の問題点を理解してもらう(あなたに生じる損害)
- 相手のメリットを理解してもらう(あなたに生じる利益)
- 相手の払うコストの低さを理解してもらう(簡単にできる)
これらの3点についてレトリックを交えながら話すことで、相手を説得できよう。
政治家は、この辺りをよく分かっていてレトリックを使った表現をよく使っている。例えば、“多数決の暴力を許すな”(多数決は、誰かを殴ったりしない。これを暴力と形容するのはレトリック。)、
「レトリック感覚」の中では、7種類のレトリックが取り上げられている。その夫々については、他の読者がネットに書いているのでここでは省略する。ただ直喩とそれ以外を分けて読むと、分かりやすい。
直喩とは、「海のように深い愛情」のように「○○のように××な△」という形式をとる。〇のもつ×の性質を使って△を喩えていることが(文脈ではなく)文章から分かるため、アグレッシブな表現が可能になる。
それに比べて、他の比喩の手法は理解に文脈のサポートを要する。つまり、テクニックとして難しい手法になる。
まとめ
「レトリック感覚」を読んだ、これを読むのは3度目。初めて読んだ時によくわからないことが繰り返し読むことで分かってくる、つまり繰り返し読むことに耐える本。
レトリックを使う目的は
- 他人を説得するため
- 芸術的あるいは文学的な表現を行うため
- 新しい認識に表現を与えるため
また、レトリックの種類は7つある。