kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「多様性の尊重」と「多様性の推進」は、ずいぶん違う

note.com

 

 上は、「多様性の尊重」というスローガンが、「多様性」ではなく「基本的な人権」の言い換えになっていると指摘している。

 例として、学校の制服問題を挙げ、学校の制服の撤廃議論において「多様性の尊重」が語られるが、それは(服装の多様性の問題ではなく)生徒の自由の問題であると指摘している。また、外国にルーツを持つ親から生まれた子供の教育の議論において、多様性の観点から教育を充実させるべきという議論は、子供の教育を受ける権利の問題を多様性の問題と履き違えている。

 

 数年前までは、「多様性」は尊重するものではなく、推進するものだった。

 アニメ「鋼の錬金術師」で、アメストリス国のオリビエ・アームストロング少将は、敵国の血を引く混血の部下マイルズに言った。「生粋のアメストリス人には気づかないことを、混血故の多様な視点でお前は見ることができる。それは、この国の役に立つ。

 企業は、ずっと多様性を推進してきた。それは、イノベーションに役に立つから。「モノからコト」「UX」など、現在の延長にない価値の提供が至上命題となっており、そのための多様な発想を得るための多様性推進だ。また、人手不足解消にも役立つため多様性は推進されている。つまり、女性、高齢者などフルタイムで働けない人も労働力に取り込むための施策が「多様性」だ。

 

 上のnote記事が指摘しているように、「多様性の尊重」が意味するのは、基本的な人権の尊重であり、積極的に多様性を増して行きたいというよりは、そこに多様性があるのでそれはケアしていくといった、ある種の受け身な態度がそこにある。例えば、豊島区の「多様性の尊重」は、外国人住民を増やして行きたいわけでなく、増えてしまうので対策します、と言っている。

 

多様性を尊重し合えるまち - 豊島区】多文化共生の推進、外国人住民とのコミュニケーションの形成・促進 より

区内で暮らす外国人数は今後も増加することが予想されます。さらに、 2020 年に開催予定の東京オリンピックパラリンピックは、多くの外国人が 東京を訪れる機会となります。国籍や人種の違いを超え、地域社会の構成員 として共生していく取組みを推進します。
 

 

  「言葉ができると、分かったつもりになる」 これは、分かっていなくても知ったかぶりしてしまう性質を反省する言葉だ。

 「多様性の尊重」と「多様性の推進」は、ずいぶんと意味が違う。「多様性の尊重」は、基本的な人権を守るという最低限のことをやりますという、ある意味残念な言葉に思える。