kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「死」とは何か:米国エール大学の「死」の講義

  米国エール大学では「死」についての講義があり、その内容をまとめたものが本書。この本を読んだメモを記します。

  最初に、感想をまとめます。人は、普段、死ぬことを忘れて生活しており、死ぬ間際に慌てます。大病をして死を間近に感じた後は人生観が変わるというように、死について考えることは意味のあることです。そうは言ってもそれをどう考えて良いのか漠然として難しい。本書は、死についてどう考えると良いかという、視点を与えています。その考え方はアメリカ人らしい合理的です。本書で述べている考え方は、馴染みのないものかもしれません。しかし、そういった新たな考え方を知ることは、自分の考えの幅を増やし厚みを増すのに役立ちます。

 

  人間は皆いつかは死ぬ。それなのに死の間際になって慌てることが多い。それは、死ぬことを忘れて人は生きているからでしょう。

  大病をして死が身近に迫った後は、人生観が変わると言います。これも普段は死を忘れて生活していることの表れでしょう。

 

  普段から死について考えることができないのは、それが漠然としていてどう考えていいのか分からないからです。知人の葬式で“あの世でまた会おう”と言うのは定番ですが、果たして「あの世」があるのか、自分は死んだあとどこに行くのか、判然としません。

  そもそも「死」について語るのは、宗教の範疇でしたが、科学の発達により宗教の言うことを信じられなくなっています。例えば、キリスト教では、人間は神様が作ったと言われていますが、今やダーウィンの進化論の方を信じている人の方が多いでしょう。同様に、宗教の言う天国の存在を信じられなくなっています。

  本書では、「死」を哲学として考えています。哲学というと難しそうですが、要するにこれまでの常識を疑っていちから考え直すということです。これによって常識が書き換わることがあります。本書によって、あなたの常識が変わるかもしれません。

 

 さて、以降で本書の概略を記します。本テーマは正解のないものですから、ノウハウ本とは違って結果を鵜呑みにするのではなく、その結果を導く過程が大切です。その過程詳細は本書を読んで頂くとしてして、ここでは考える視点をしるします。

 

死の本質

  人間に魂(つまり死後も残り続ける非物質的な存在)があると思うか、無いと思うかを決める必要があります。著者は、魂はないという立場を取ります。

 そして、死ぬ「私」とは何かを考えます。私とは、この体なのか、認知機能なのかを決める必要があります。著者は、認知機能こそが「私」であるという立場をとります。

 

死はなぜ悪いか

 人は死を恐れます。つまり、死を悪いものとして捉えていますが、それはなぜでしょう?著者は、もし生きていれば手に入ったであろう快を手に入れられなくなるから(剥奪説)という立場をとります。

 私見ですが、ここは、人によっていろんな意見があると思います。人生とは快を得るためのものという人生観には違和感を感じます。一方で、例えば、良い仕事をして結果を残すのが良い人生という(日本人が好きそうな)人生観が正しいと考えるのも無理がある気がします。

 

不死   可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?

  人生とは、ただ生きているだけで価値があるとするならば、不死には計り知れない価値があることになります。不死はすばらしいものでしょうか?著者は、不死は不幸せという立場をとります。

 

死が教える「人生の価値」の測り方

  人生の価値をどう測れば良いか? について議論を展開します。ここに答えはないのですが、著者は仮に快楽主義に立つとすれば、快の経験量から苦の経験量を引いたものが人生の価値という測り方を示します。

  ただし、著者は快楽主義的な見方だけでは人生の価値全てを測ることはできないと思っているようだ。

 

私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題

1. 「死は絶対に避けられない」という事実を巡る考察

  自分の死が避けられず必然であるということは、良いことか?それとも悪いことか? 著者は判断がつかないとしている。

 一方で、自分だけでなくみんな死ぬということは、良いことか?それとも悪いことか? これも著者は判断がつかないとしている。

 

2. なぜ「寿命」は、平等に与えられないのか

 

3.「自分に残された時間」を誰も知り得ない問題

  いつ死ぬのかわからないことは、良いことか?悪いことか?

 

4. 人生の「形」が幸福度に与える影響

 境遇の良さが生まれた時はゼロで時間とともに増える人生と、生まれた時の境遇の良さがMAXで死ぬ時にゼロに減っていく人生のどちらが良いか?

 

5. 突発的に起こりうる死との向き合い方

 死ぬことが悪いとすると、冒険家はなぜ命懸けの冒険をおこなうのだろうか? 死ぬ可能性こそが快さの根源(死のスリル)であるとは言える可能性もある。

 

6. 生と死の組み合わせによる相互作用

 生が有限であるからこそ、人生を大切に生きると言える。

 

死に直面しながら生きる

 死を恐れるとき、何を恐れているのだろうか? 実はこれが曖昧であることを、著者は示していく。

 

 

まとめ

  必ず死ぬにもかかわらず、死を忘れて我々は生きている。大病を患って死を身近に感じるとその後の人生観が変わるという、死を考えることは人生において大切だろう。本書には、考える切り口が示されており、またその考えは、非常に合理的で説得性があるが、私たちの常識とは大きく異なる。自分と違った考えを知ることで、考えの幅が広がる。