kotaの雑記帳

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「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん)の感想:便利屋には怪しげな人が集まってくる

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

 

 

 小説「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん)は、直木三十五賞受賞をしている。また、TVドラマ化と映画化された。そして、続編「まほろ駅前番外地」、「まほろ駅前狂騒曲」も出版されている。

 つまり、人気作品である。

  

 この小説は便利屋を主人公にしている点がユニークで、これがストーリーの面白さの源泉になっている。

 あなたは、便利屋を知っているでしょうか? 身の回りの雑事を請け負う業者だ。庭の雑草抜き、遺品整理、花見の場所取り等々、雑事を請け負う。

 

 小説は、便利屋を一人で営む主人公の多田啓介が、老人の病院見舞を行うシーンから始まる。老人は認知症を患っており、その息子のフリをして見舞う仕事を依頼されたのだ。いくら認知症で息子が分からないからといって、世間体のために依頼された見舞いの代行をすることから、便利屋が胡散臭い商売であることが暗示される。

 便利屋が胡散臭ければ、それに仕事を依頼する客もまた怪しい人たちばかりだ。コロンビア人を詐称する売春婦、ギャング、女子高生等々が便利屋に関わってくる。そんな怪しげな人たちに囲まれる多田啓介は、意外に真面目だ。その真面目さ故に、厄介ごとに巻き込まれていく。

 

 そんな真面目な多田がなぜ便利屋をやっているのか?という点を意識しながら読むと、この小説は一層楽しめる。

 

 ある日、高校の同級生だった行天春彦が、便利屋の事務所に転がり込み、二人の生活が始まる。この二人を中心にエピソードが繰り広げられていくうちに、多田の心の中に埋もれている屈折した想いが明らかになっていく。キーワードは、“親と子供”。

 小説の初めの方で、行天が多田に言う次のセリフは、後で重要な意味を帯びてくる。

「多田が便利屋になったのは意外だった」

(中略)

「俺は、あんたは要領よく大学を出たあと、堅実な会社に入って、料理がうまい女とわりと早めに結婚して、娘には『おやじマジうぜえ』とか煙たがられながらまあまあ幸せな家庭を築いて、奥さん子供と孫四人に囲まれて死んで、遺産は建て替え時期の迫った郊外の一軒、って感じの暮らしをするんじゃないかと思ってた」

 

 一方で、行天春彦はかなりの変人として描かれている。飄々としていて何事にも関心を示さず、自分自身のことさえどうなってもいいと思っていそう。それでいて物事の本質を見抜く。上の“親と子供”というキーワードは、多田だけでなく行天にも当てはまる。共通点を持った行天と触れ合うからこそ多田の想いが浮かび上がる。

 

 ところで、TVドラマや映画の中の行天春彦役を松田龍平が演じている。この松田龍平の演技がとても上手い。変人 行天春彦を見事に演じている。

 また、行天春彦を松田龍平が演じたことを踏まえると、小説の中で多田の運転する軽トラックが狙撃された際の以下の部分も、関連が広がって面白い。

 その瞬間、フロントガラス一面に、蜘蛛の巣みたいな白く細かいヒビが入った。脳の片隅がやや遅れて、高い破裂音が響いたことを認識した。

(中略)

「なんじゃこりゃあ!」

多田は呆然とつぶやき、

「それ、誰の真似?全然似てない」

と行天は笑った。

上の「なんじゃこりゃあ!」は、松田龍平の父、松田優作がドラマ「太陽にほえろ!」で放った名セリフだ。父親のセリフに対して、「それ、誰の真似?全然似てない」と松田龍平が言うことを想像すると、愉快だ。 

 

 

まとめ

 三浦しをんの「まほろ駅前多田便利軒」は、主人公を便利屋にした点が秀逸。これによって、胡散臭い人間の集まるストーリーが無理なく展開できている。一方で、便利屋の多田自身は意外に真面目で、そのギャップの謎を意識しながら読み進めると、一層楽しめる。

 

おまけ

 「便利屋 何でもします」とペンキで手書きされた小さな看板が、私の身近にある。それは、バス停に(恐らく違法に)くくりつけられており、風雨にさらされ色褪せている。一方で、このメモを書くために改めて「便利屋」でネットを検索すると、明るいイメージ写真を使った広告がたくさん出てくることに驚いた。

 その明るいイメージ写真と色褪せた手書き看板が頭の中で一致せず、困る。

 

まほろ駅前番外地 (文春文庫)

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まほろ駅前狂騒曲 (文春文庫)

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