kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」の感想:帰るべき故郷は大学時代、結末までの語り方が心地よい

 伊坂幸太郎の小説を10冊ほどまとめて読みました。ここでは、「ゴールデンスランバー」の感想を書きます。

f:id:kota2009:20210318091831j:plain

  

 私にとって小説を何度も読むのが苦ではないのは、その結末に興味が無いから。ゴールデンスランバーは5回読みました。

 

 プロット(あらすじ)は、首相殺害の濡れ衣を着せられた青柳が逃げ回る、というもの。青柳は、逃げ切れたのか、それとも真犯人を捕まえたのかといった結末は重要ではないと思っています。小説中に散りばめられたエピソードや登場人物の想いなどの断片を一つのストーリにまとめた描き方が素晴らしく、これを味わうように読むのが楽しい。

 さて、この小説は、ケネディ大統領暗殺事件を縦糸に、ビートルズのアビーロードを横糸に編まれていて、そこに青柳の逃走劇(現在)と大学時代の思い出(過去)が交錯し、さらに別れた彼女 樋口晴子と青柳のシーンが別々に描かれそれらが混じりあいます。ストーリが複雑な構造をしていますが、タイトルが「ゴールデンスランバー」であることを意識して読むと、読みやすいでしょう。

 

 ケネディ大統領暗殺事件は、市内をパレード中に銃撃され死亡した事件。一時間後に逮捕されたオズワルトはダラス警察署の中でルビーに銃撃されて死亡。翌年出された公式調査報告ではオズワルトを犯人と断定したが、数々の反証が出るなどして真偽は今も議論されています。

 ゴールデンスランバーの主人公 青柳をオズワルトになぞらえれば、仮に警察に捕まったら、彼も真偽が定まる前に殺されることが想像できます。また、小説の中でも同様に鵜飼報告書なる調査報告書が出てくることも面白い。

 解散が濃厚になったビートルズが、「最後にアルバムを一つ製作しよう」と言って作られたのがアルバム アビーロード。この中のゴールデンスランバーでは、"Once there was a way to get back homeward"(故郷に帰る道があった(でも今は無い。。))と繰り返し歌われており、小説の中で青柳たちの「故郷」あるいは帰る場所とは、大学時代の友人たちとの生活であると感じます。

「昔は故郷へ続く道があった、そういう意味合いだっけ?」

「学生の頃、おまえたちと遊んでいたときのことを反射的に、思い出したよ」

「学生時代?」

「帰るべき故郷、って言われるとさ、思い浮かぶのは、あの時の俺たちなんだよ」森田森吾は目を細めた。

 (第四部 森田森吾の言葉より)

 

「今はもうあの頃には戻れないし。昔は、帰る道があったのに。いつの間にかみんな、年取って」

(第四部 カズの言葉より)

 

 

 また、ビートルズにはポール死亡説 (Wikipedia)があることも興味深い。ポールマッカートニーは既に死亡しておりそっくりな替え玉が歌っているというものですが、「そっくりな替え玉」という点でも小説につながりを持ちます。

 

 この小説では、青柳の大学時代の思い出が繰り返し描かれます。

 大学時代に仲間と花火工場に通ったこと。そこでは、花火に一切触れることは許されず雪かきばかりしていた。青柳はご飯を食べるのが下手で、ご飯粒を茶碗に残すこと。これらの思い出から、樋口晴子は青柳が犯人でないと信じることになります。

 この小説の中で「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」と繰り返されますが、ご飯粒を茶碗に残す習慣によって樋口からの信頼を得ることになっていく。こういう話の展開も私は好きです。

   一方で、世間に対する青柳の信頼をマスコミが奪っていく。

 

 この小説の中で、重要キーワードは「イメージ」です。小説の冒頭でこんなことを登場人物が言う。

「ネーミングっていうのは、大事なんだよ。名前をつけるとイメージができるし、イメージで、人間は左右されるからさ」

また、青柳のイメージを世間に印象付けるためにマスコミが利用されます。操作の指揮を執る佐々木はマスコミに言う。

「今回のような緊急事態には、マスコミの皆さんの協力も求めています。仙台市内に住む方々の情報を集め、それを私たちにフィードバックしていただきたい。市民へ警戒を促す結果にもつながると思っています」と言った。

 これで、テレビ局は、「捜査に協力する」大義名分を得た。

 その後マスコミは、青柳の悪いイメージを世間に広げていくことになります。一方、操作の指揮を執る佐々木は、青柳にこう言う。

「情報をコントロールするんだ。君は犯人だが、憎むべき、おぞましい人間ではない。許されはしないが、同情できなくもない。そういう犯人像にする」

(中略)

「イメージ」佐々木は短く、言った。「イメージというのはそういうものだろ。大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く。味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージが良くなったからだ。もてはやされていた俳優に仕事がなくなるのは、イメージが悪くなったからだ。主将を暗殺した男が、さほど憎まれないのは、共感できるイメージがあるからだ。」

 

 さて、この小説は時間が前後する構成になっています。目次を記すと

  • 第一部 事件のはじまり
  • 第二部 事件の視聴者
  • 第三部 事件から二十年後
  • 第四部 事件
  • 第五部 事件から三か月後

目次を眺めると、第三部と第五部が時間軸として奇異に感じるでしょう。また、第二部と第四部の関係も不明確です。

 なぜこのような奇異な構成になっているか考えるのも楽しい。私の考えでは、第二部はマスコミによって「イメージ」がどのように操作されていったかを描いているように思えます。第四部は、青柳の当事者視点により事件の真実が描かれていきます。そして、第三部では事件関係者が何者かに消され、真相が明らかにならなかったことを描き、第五部で青柳がどうなったかを描いてフィナーレとしています。

 さて、ここで第三部を描いている”一介のノンフィクションライター”とは誰でしょうか?私は、20年後の青柳だと想像しています。理由は、次の二つの記述があるからです。上は青柳がショッピングモールで出会った若者のセリフで、下は友人 森田森吾の”森の声”と一致します。

 筆者は昔、若者たちが、「世の中の悪いこと全部が、自分たちのせいにされる。アメリカみたいだ」と嘆いていたのを聞いたことがある(中略)

もちろん、答えは得られず、そこでは森の声も聞こえなかった。

 

 伊坂幸太郎の小説と言えば洒落た会話と伏線が特徴です。私の好きな部分を挙げておきます。

 

そして、打ち合わせがあったようにも思えないが、どちらかともなく、男と七美が、「白ヤギさんからお手紙着いた、黒ヤギさんたら読まずに食べた」と歌い始めた。

 上は、青柳が車に残した「俺は犯人じゃない。青柳雅春」と書いたメモをみつけた樋口晴子が「知ってるって」とそのメモに書き込んだ後のシーンです。青柳の名前(青ヤギ)を使ったこんな遊びが好きです。

 

「言うの遅えーよー」

 学生時代に青柳が樋口晴子につきあって欲しいと言ったときの、樋口の返事の言葉です。この言葉は、その6ページほど前の森田森吾の言った文句を樋口が真似て行ったものですが、このときの森田森吾が本気で不平を言っていなかったであろうことと絡めて読むと楽しい気分になります。

 

「俺が配達する区域に、稲井さんという人がいてさ」

「何の話だ」

「まあまあ。とにかく稲井さんが」

「いるのにいないさん、か」

「その通りなんだ」青柳雅春は笑う。「いつも不在で、(略)

 稲井さんがいない(不在)と言おうとした青柳に「いるのにいないさん、か」と口を挟んでいる会話が可笑しい。

 

 最後に、第五部を読み解くために重要な部分を紹介しておきます。

 また、当時、佐々木一太郎と同様、事件の捜査にたずさわっていた刑事、近藤守もその一年後、退職した一人だった。(中略)青柳雅春の後輩である男性が、口封じのため謎の死を遂げずに済んだのは、近藤守の主張が通ったからではないか、と憶測をめぐらすことはできる。

 (第三部より)

 

「本当にすみません」

「いいよ、謝るなっての」岩崎英二郎は早口だった。(中略)「まあ、キャバクラの姉ちゃん、口説けたのお前のおかげだからな」

「奥さんに告げ口しますよ」

「無事に逃げ切って、告げ口しに来いよ」

 (第四部 岩崎が青柳を逃がす部分より)

 

「小学校の時の冬休み、書初めの宿題が出たんだよ。何でもいいから、好きなことを書いて提出しろって」父親の隣で青柳雅春は眉をしかめて、言った。「『初日の出』とかさ、みんなはそういうのばっかり書いてんのに、俺だけが、『痴漢は死ね』って書かされたんだぜ、親父に言われて」

(第四部 樋口が青柳の実家で、痴漢嫌いの父親の話を聞いた部分より)

 

「わたしたちって、このまま一緒にいても絶対、『よくできました』止まりな気がしちゃうよね」

(第四部 別れを告げた際に樋口が青柳に言った言葉) 

 

 色々と書いてきましたが、私は、以下のセリフが一番印象に残っています。自分の大学時代を振り返れば、私だって本当に下らないことで友人たちとわいわいやってましたから。

「本当に下らないですよねえ」カズは言った。「あの時って、何であんなくだらないことでわいわいやってたんですかねえ」

  (第四部 大学時代たわいもないイタズラで喜んでいた思い出の部分)

 

まとめ

 ゴールデンスランバーは、繰り返し何度も読める小説です。

 本の後書きに著者は、物語の風呂敷をたたむ過程が一番つまらない、畳まなさ具合に味がある、とあります。結末を明確に記述せず謎な部分を残しておき、その謎を想像する余地を読者に残すということでしょう。

 また、自分の小説の中でいちばん面白がって欲しいのは語り方の工夫なんです、とも言っている。例えば以下のような、情景が思い浮かび、かつクスっとするような語り方がいくつもちりばめられています。

時刻表のところに、踵の高い靴を履いた女性が立っていた。冬だというのに背中がずいぶんと露出した服装で、スカートは短い。何の我慢比べかと思った。

 

 著者は結末には直接関係のない部分に工夫を凝らして遊んでいて、読み返すたびにクスっと笑ったり、想像を広げたりして楽しむことができます。

 また、この小説が書かれた2007年はまだスマートフォンが普及していなかった時代*1で、テレビ等のマスコミが世論に大きな影響力を有していました。そのマスコミが利用されて主人公の青柳は首相殺しの濡れ衣を着せられるのですが、現在のSNS時代ではTwitterやLINEが利用されるのかな?などと考えると楽しい。

 

追記

 映画の方の感想をネットで見ていると、なぜ青柳が濡れ衣を着せられたのか分からない、というものを割と見かけます。映画では描かれていなかったのかな。小説では、青柳がマスコミ受けするため濡れ衣を着せられたことが描かれています。

「英雄が転ぶのはみんな好きですからね。青柳さん、二枚目だし、俺みたいな冴えない男からしたら、やっかみの対象ですよ。濡れ衣、どんどん着せてしまえ、って気分にもなりますね。」

(第四部 キルオの言葉より)

ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー

 
 

*1:初代iPhoneの発売が2007年。