kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「魔王」(伊坂幸太郎)の感想:流されるな、考えろ考えろ。

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 伊坂幸太郎の小説を10冊ほどまとめて読みました。面白いですね、彼の小説。

 この記事では、「魔王」について感想を書きます。伊坂幸太郎と言えば、洒落たセリフと伏線が散りばめられた楽しいサスペンスですが、この小説は、それらとは違ってハードな内容です。好きな人と嫌いな人が分かれる本かなと思います。

 

あらすじ

 「魔王」とそれから5年後を描いた「呼吸」からなる。

 日本が世界からバカにされている。中国は日本の海から資源を盗み、アメリカは日本を何も決められない国だと蔑む。見返してやるというムードの中で世の中は物騒になっていく。それと呼応するように、日本は強くあらねばと主張する若い政治家が現れ、人気を集める。この雰囲気を気持ち悪く感じる安藤は、自分のある能力に気づく。腹話術と呼ぶその能力は、念じるだけで他人の言葉を操ることができる。腹話術使いの安藤は、政治家に挑むため彼のもとに向かう。

 もう一つの短編「呼吸」では、それから5年後の安藤の弟、潤也を描く。潤也は、滅法ジャンケンが強い。ある日、確率を操る自分の能力に気付き、妻 詩織と共にこの力を開発していく。

 

登場人物

  • 安藤 兄:腹話術と呼ぶ能力に偶然気付く。弟 潤也と二人暮らし。物事を考えに考える性格。
  • 安藤 潤也: 直感で生きており、記憶力が良い、弱音をすぐ吐く。恋人の詩織と後に結婚する。
  • 詩織:潤也と結婚前から安藤兄弟の家に入り浸る。無邪気な性格で、潤也のことが大好き。
  • 犬養舜二:政治家、日本の今の政治家を責任を取らないと強く批判する、自分なら5年で日本の景気を良くすることができる、もしできなかったら自分の首をはねろと過激な主張をする。頭角を現していくが、誰かに者の守護に守護されているのかもしれない。

 

感想

 人は世間のムードに流されてしまい、流された人がさらに世間のムードを強化していく。そうやって世界は、ゆっくりとだが、大きく変わっていく。これが作者の言いたいことだと思う。

 この本を読みながら、頭に浮かぶのは、アメリカの元大統領ドナルド・トランプ(2017年~2021年在任)のことです。トランプは、"Make America Great Again"をスローガンに、低所得層の白人の支持を得るため、アメリカをダメにしたのは、メキシコなどからの移民や中国などの外国と主張した。また、新型コロナウィルスを中国ウィルスと呼び、新型コロナウィルスの発生源は中国であると非難した。

 集団の外に敵を設定するのは、集団の結束力を高める常套手段ですが、トランプはこれを実践した。その結果、アジアンヘイトと呼ばれるアジア人への暴行や、民族の分断が深まりました。

 この小説の中でも、アメリカ人が襲われる様子が描かれており、そのきっかけになったのが日米のサッカーの試合であることは、スポーツがナショナリズムの高揚に適した手段として、ナチスのヒトラーもオリンピックを重視したことが思い出されます。日本でも、ラグビーワールドカップやサッカーの試合があれば、マスコミをはじめ皆が”ニッポン、ニッポン、ニッポン”と連呼しますしね。

 また、フェイクニュースからのヘイトの様子が描かれており、2005年に書かれた小説とは思えない、今でも通じる小説です。

 

 この小説のプロローグには、二つの言葉が記されています。

「とにかく時代は変わりつつある」 『時代は変わる』ボブ・ディラン

 

「時代は少しも変わらないと思う。一種の、あほらしい感じである」 『苦悩の年鑑』太宰治

 この正反対な言葉は何を意味しているのでしょうね?

 私は、世界は変化し続ける、一方で世の中のムードに人は流されるという点は変わらない、と言っているように思います。

 

 詩織ちゃんのキャラクターもこの小説の魅力です。

 結婚前の詩織ちゃんは、無邪気な女の子として描かれていますが、5年後の「呼吸」ではグッと落ち着いた大人の女性として描かれています。

「兄貴は、世の中を小難しく考えることだけが生きがいなんだ。だから、難しい顔になる」潤也が詩織ちゃんに説明した。「マグロが泳いでねと死んじゃうのと一緒で、兄貴は考えてねえと死んじゃうんだ」

「マグロと一緒なんてすごい!」詩織ちゃんが口を縦に広げて、感心する 

(35ページ)

  

 「呼吸」では、詩織ちゃんが潤也の呼吸に意識を向け彼を感じる様子が度々描かれています。こういったところに、詩織ちゃんは潤也が好きなんだなと思わせます。

時計を見ると夜の一時だった。窓にはカーテンが閉まっているが、廊下の電気を点けたままだったので真っ暗ではない。潤也君は瞳を閉じ、鼻を布団にくっつけていた。薄茶色の毛布がゆっくりと、隆起する地面さながらに浮き、そしてしぼむ。私は知らず、自分の呼吸も合わせている。

(219ページ)

”シートベルトの締められた胸が、呼吸に合わせ、ゆっくりと上下する。せわしくもなければ、のろくもない絶妙の間隔で息が続く。眺めているうちに、釣られて眠りそうになった。

(266ページ)

 潤也君の呼吸の音が聞こえ、はっとし、前を見た。

 瞬間、目の前が光る。室内であるはずの光景が、一面真っ赤な荒野に変わった。 (351ページ)

 

 また、この小説には、宮沢賢治の詩「目にて云ふ」が出てきます。青空文庫から全文を引用します。

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

吐血して死にかけている私は、声が出せないので、治療をしている医者に眼で言う、そういうシチュエーションです。他者からは苦しそうに見えるが、当事者の私は穏やかな心持ちでいるという、他者と当事者の不一致を表しています。

 小説内での引用のされ方から想像すると、安藤兄の穏やかな気持ちを表しているのでしょう。考え抜いて、やるべきことをやろうとする、これが穏やかさにつながっているのかもしれません。

 

 そうそう、伊坂幸太郎の小説「死神の精度」の千葉がちょこっと登場します。こういうところに、クスっときます。

 

 最後に、小説のタイトル「魔王」について。これはどういう意図でこのタイトルが付けられたのでしょうね?

 魔王と言えば、シューベルト作曲で、父親と馬に乗る子供が魔王がいると父親に訴えたが信じてもらえず、屋敷に帰った時には子供は死んでしまう、という内容です。世間のムードの危険さを訴えたが、誰にも(弟の潤也にも)信じてもらえなかった安藤兄を、この子供に重ねているのだと思います。

 

名言

 小説中で、考えることに関する言葉が多く出てきます。

「何でもかんでもインターネットで調べる世の中で、だんだん情報とか知識が薄っぺらくなっているじゃないか。(略)」

(55ページ)

『もし万が一、お前の考えが、そこらのインターネット出た知識や評論家の物言いの焼き増しだったら、俺は、お前に減滅する。おまえは、お前が誰かのパクリでないことを証明しろ』

(299ページ)

おまえ達のやっていることは検索であって、思索ではない

(333ページ)

 例えば、アンケートで賛成・反対・分からないの3つの選択肢があったとき、分からないを選ぶ人はかなり多い。検索して答えが出ないことについて、自分の意見が言えないのでしょう。最後の「検索であって、思索ではない」を読んで、そんなことを考えます。

 

「兄貴、俺さ、『今まで議論で負けたことがない』とか、『どんな相手でも論破できる』とか自慢げに話している奴を見ると、馬鹿じゃないかって思うんだよね」

「どうしてだ」

「相手を言い負かして幸せになるのは、自分だけだってことに気づいていないんだよ。理屈で相手をぺしゃんこにして、無理やり負けを認めさせたところで、そいつの考えは変わらないよ。場の雰囲気が悪くなるだけだ」

(46ページ)

 これは、潤也の言葉です。考えて意見を持つだけじゃなく、その意見を上手に使えない人は多くいますね。私も反省です。

 

「でもよ、この道をあと何年進もうと、カッコいい大人には辿り着かない気がするんだ」(119ページ)

 学生時代は、高校や大学進学、そして就職といった外部システムのおかげで、自分が進歩している気分になれますが、就職してからは自分の進歩を感じることはなかなか難しい。あと100年、いまの生活を続けたとして何か進歩しているのか、自問自答したくなるセリフです。

 

まとめ

 伊坂幸太郎の小説「魔王」を読みました。これは、彼の他の小説とは、少し雰囲気の違っていました。気の利いたセリフと伏線を散りばめた楽しいサスペンスというより、もっとハードな内容でした。

 また、行間を読む余地が多く、色々な想像をしながら楽しめます。例えば、安藤兄がいなくなった後、犬養は、私を信用するな自分の頭で考えろ、と演説しますが、これは犬養の考えなのか、それとも安藤兄が腹話術でしゃべらせているのか、どちらとも取れます。また、潤也は、安藤兄の思い出を蘇らせながら力をつける意思を固めていきますが、これも潤也の意思ではなく、安藤兄に操られているのかとも感じます。いずれにしても、安藤兄の想いは残ったということなのでしょう。

 また、ハードの内容ながら、詩織ちゃんは潤也君が好きなんだなぁと思わせる描かれ方をしていて、好感が持てます。

 この小説と世界線のつながった「モダンタイムス 」は、いつもの洒落たセリフと伏線の散りばめられた伊坂幸太郎らしい小説で、こちらも読むと物語が広がって楽しい。

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)