kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



小説「陽気なギャングの日常と襲撃」:伏線回収だけではない作品

 この「陽気なギャングの日常と襲撃」は、伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」の続編です。地球を回すの方が面白かったので、日常と襲撃の方も読んでみました。

 最初の印象は、前作と随分感じが違うぞ、ということでした。4人のギャングが入れ代わり立ち代わりワイワイしながら伏線回収を進めるのが前作でしたが、今回は一人の出番が長いのです。そして伏線回収がそれほど熱心に行われていない(良い意味で)。伊坂幸太郎の作品は、さりげなく張り巡らされた伏線が後で怒涛の勢いで回収されていくことが多い。これはこれで見事で読んでいて爽快感もあるのですが、だからそれで何と思うこともあり、伏線回収をいくつかあきらめればストーリーの幅が広がります。今回の作品は、そういう意味でいつもと違った作風を感じます。

 今回の作品の面白さは、トラブルに自ら首を突っ込んでいく4人の様子です。最初は、女が誘拐された可能性に気付いた成瀬が仲間をなんとかなだめなだめ救出に向かう。最初は、監禁場所を特定して警察に連絡し保護してもらうという計画だったのに、すり違いにつぐすり違いが起きて最後は事件を解決してしまう。この最初はちょっとだけ首を突っ込むだけのつもりが、最後にはどっぷり関わってしまうストーリーの流れが見事です。どうして途中で関わることを止めなかったのだろう?とか野暮な印象は受けません。

 伊坂作品に共通するのですが、文中に素敵なセリフが出るのも魅力です。

「木は森に隠せ、って言うだろう。失敗は大失敗に隠すんだ」 

 これが一番好きなセリフです。野暮な解説をすれば、木が集まったのが森であり、失敗が集まったものが大失敗ではない。それなのにまるで失敗が多数集まって大失敗ができているかのように思わせるところが面白い。思わず「木を見て森を見ず、って言うだろう。失敗を見て大失敗を見ないんだ」というフレーズが私の中に浮かびました。

「わたしの言う通りにやれ。わたしのやる通りにではなく」

 こちらは、一見おかしいけれどもまともなセリフです。子育てした経験がある人はそう思う筈ですが、親ができないことを子供に注意できないと、子供は親より躾されない人間になってしまいます。だから大抵の親は「自分にもできないときがあるんだけどなぁ」と思いながら、子供を注意します。まさに「わたしの言う通りにやれ。わたしのやる通りにではなく」なのです。

 

まとめ

 伊坂幸太郎の小説「陽気なギャングの日常と襲撃」を読みました。前作の「陽気なギャングが地球を回す」とは少しティストが異なっていて面白い。伏線回収ばかりでは物足りないという方は、どうぞお試しください。

 また、ティストが違う理由はあとがきに書いてありました。