kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



仕分け問題とROI

「仕分け」会議を聞いて勿体ないと思ったことという日記が興味深い。この記事では、多くの難しい問題が示されている。

  • 「仕分け」会議の是非
  • 説明責任の是非
  • 博士の活用問題
  • etc

これらの問題について、答えを出すことはできないが思うところを記してみたい。

「仕分け」会議の是非

 「仕分け」会議で議論されている事業は、事前にその効果が疑わしいと判断されているものがピックアップされたものである。そのため、「仕分け」会議では事業価値が疑わしいという前提で議論が行われている。よって「仕分け」会議の是非を議論する前に、国が何を「ムダ」と考えているかを議論する必要がある。
 民主党は弱者に優しい国づくりを訴えて政権をとったわけだから、効果の分かりやすい社会保障にお金を配分し、R&D費用のような先行投資的な予算を削るのはある意味理解できる。しかしながら、効果の分かりづらい先行投資を削減するとそのツケは将来に出てくる。これが分かっているから、民間企業は研究費を削るのを躊躇う。固定費を削減して一時的に利益を出すことは可能だが、それではジリ貧になり将来立ち行かなくなるのだ。もっとも政府は、経済発展ではなく別のもの例えばGNH(国民総幸福度)が高い国を目指すという選択を行うことは可能である。この政府が目指す方向がはっきりさせること、国民は政治とはシビアなトレードオフ社会保障を厚くすれば、R&Dは薄くなる)を伴うことを認識することが大切である。
 「仕分け」会議の問題は、国民が政治を他人事ととらえ、民主党が「友愛」という耳触りは良いが曖昧な呼びかけで政権をとったことが問題であろう*1

説明責任の是非

米国ウォールストリートの影響か投資に対してリターンを説明せよという風潮が強い。投資する側の立場から言えばリターンの説明を欲しがるのは当然の話であるが、投資を受ける立場からすれば短期的な成果が見える活動に偏りがちとなる。さて、短期成果の積み重ねが長期成果につながるかは甚だ疑問である。「イノベーションのジレンマ」は短期成果を追い求める結果失敗するケーススタディとして読むことができる。
 この矛盾は、民間ファンドは短期成果に対して投資し、政府ファンドは長期成果に対して投資をするという使い分けで解こうとするのが一般的である。問題は、長期成果を期待した投資活動はその投資先の選別が難しく、政府にその見極め能力があるかという点である。国民としては、政府の投資活動の成績を監視する必要があろう。この際、消極的な投資を行えばよいというわけではないことに注意が必要である*2
 大学が未踏領域に挑もうとする場合、そのリターンを説明するのは難しい。また、政府にとってもその未踏領域がどんな価値を生むのか見積もることは難しい。こう考えると、説明責任を追い求めることが、正しい手法であるかどうかも曖昧に思える*3

博士の活用問題

博士は、その学位ゆえに有利に扱われるものではなく、その能力ゆえに重用されるべきものである。ポストドクの問題は、博士の数の多さとそれらが出せるリターンの大きさのバランスがとれてないところに問題の根っこがある*4。この問題を解く手っ取り早い方法は、政府の調査会や勉強会に博士自身が積極的に参加し、自身の価値を売り込むことだと(今は)思っている(難しいんだけど)。 

*1:宮台信司的に言えば民度の低さが問題である。

*2:「仕分け」会議は事業を切りすぎでないかというのは、政府の投資活動は消極的ではないのかという見方もできる。

*3:個人的には、大学が未踏領域に挑もうとするときは、リターンを説明させるのではなく、そのぶっ飛び度を説明させるだけでよいと思う。

*4:実際にバランスが取れているかどうかでなく、バランスが取れているように投資家に思われていない。