三浦しをんの小説「木暮荘物語」は、東京の小田急線世田谷代田駅から徒歩5分の古びたぼろアパートを舞台にした短編集です。収められている7編の短編は、独立したお話ですがゆるく関連しています。こういう形式の短編集は、有川浩の「阪急電車」と同じ。
設定の木暮荘をよくイメージし味わうと、この短編を一層楽しめます。
まず、世田谷代田駅から。場所は下北沢駅の隣(新宿側でなく神奈川側)。一日の乗降客数が4千人、隣の下北沢のそれが11万人と比べると二桁少ない。世田谷代田駅に用事があって訪れる人は少なく、住んでいる人だけが使う小さな駅、そういった場所。だからこそ、世田谷区という高級住宅地でありながら、駅まで徒歩5分という好立地にもかかわらず築ウン十年というぼろアパートが開発されずに残ります。
そんな街に立つ木暮荘は古いぼろアパート。古さからくる壁の薄さ(昔の日本の建物はみんな壁が薄かった!)、補修がされないことからあちこちガタが出ており、隣への壁には穴が開く。
この本に収められている短編は6篇。木暮荘に関わる人々の、いわゆる男と女のお話。
- シンプリーヘブン
- 柱の実り
- 黒い飲み物
- 穴
- ピース
- 嘘の味
この中で1番目と3番目と6番目のお話が強く関連していて、瀬戸並木と北原虹子の恋愛話へ収束します。
また、4番目と5番目も関連していて、4番目は木暮荘の住人サラリーマンの神崎が階下の住人 女子大生の光子の部屋をのぞく話。光子は3人の男を部屋に連れ込む生活をしていて、それを神崎視点で描いています。5番目は、その光子の物語を光子視点で描く。
この6篇の中で特に面白かった個所を紹介します。
まずは、3番目の黒い飲み物から。花屋を営む佐伯の妻は、夫の浮気を疑っており、客から注文を受けたブーケを作りながら以下のように思う。
男性がたいてい、「大きく見えるように」と注文するのが不思議だ。花の種類に詳しくないうえに、色合いの指定をするなんて、あまり考えつけないためだろうけど。女性で花束の大きさにこだわるひとは、そう多くはない。若い人は特に。それよりもめずらくしてうつくしい花が使われているか、色づかいの調和がとれているか、アレンジのセンスがいいかを気にする。
(中略)
男女の気持ちがすれちがうのも当然だ。リボンをかけたブーケのバランスを点検しながら、佐伯ひっそり笑う。愛を得たいと願う心は同じなのに、どこかが決定的に嚙みあわない。だからこそ、いつまでも飽きずに恋ができるのかもしれない。
濃い文章ですね。とても濃い。
『男性がたいてい、「大きく見えるように」と注文するのが不思議だ。花の種類に詳しくないうえに、色合いの指定をするなんて、あまり考えつけないためだろうけど。』からは、男性が花に詳しくないことを知っているうえで「大きく見えるように」と注文することを不思議という。理由を知っているのに納得がいかない、そんな気持ちをよく表しています。
『男女の気持ちがすれちがうのも当然だ。リボンをかけたブーケのバランスを点検しながら、佐伯ひっそり笑う。』からは、佐伯妻の成熟した大人であることが滲む。夫の浮気を疑っている時期に、男女の気持ちのすれ違いを笑う。この笑いが苦笑・冷笑であり、自分に向けられたものと感じさせます。
さらに『愛を得たいと願う心は同じなのに、どこかが決定的に嚙みあわない。だからこそ、いつまでも飽きずに恋ができるのかもしれない。』と続きます。噛み合わないから飽きない、深遠なテーマです。
次に5番目のピース。光子は中学3年生のとき、自分が子供を作れない体であると医者から言われます。それを聞いて母親は態度を変え、光子自身も自分の価値を疑う。
現在、政府が少子化対策を進め、子供を設けることが正しいとする世論が同調圧力となり子供を持たない女性を苦しめていますが、これと比較しながら読むとよく共感できます。
最後の嘘の味では、能天気で純粋な男 瀬戸並木が、嘘や浮気を見抜ける女 北原虹子に恋をするお話。読みどころは2点。純粋であっても恋に一途でない男がいかに迷惑であるかが描かれている点と、嘘や浮気を見抜ける女に惚れるにはこれくらい純粋でないといけないと思わせる点です。
まとめ
三浦しをんの「木暮荘物語」を読んだ。6篇からなる短編集で、木暮荘に関わる人々のいわゆる男と女のお話が描かれている。少し不思議で、濃い文章が豊かで、表現を楽しめる本だ。
私は、学生時代に住んでいたぼろアパートでの日々を思い出した。