スタジオジブリの宮崎駿監督の新作映画「きみたちはどう生きるか」を観てきた。
最初に書いておくと、この映画はハリウッド映画のようなエンターテインメントではない、いわゆる「一癖も二癖もある野郎どもがとんでもない冒険をする。そして、絶世の美女とのロマンスも見どころ!」というものではない。また、書籍「君たちはどう生きるか」をアニメ化したものでもない。この映画を楽しむのは難しいかもしれない。観客を感動させようとか、いう意志も感じない。
さて、声優陣をWikipediaから記す。
登場人物 | キャスト |
---|---|
牧眞人 | 山時聡真 |
覗き屋のアオサギ | 菅田将暉 |
若き日のキリコ | 柴咲コウ |
ヒミ(眞人の母 久子) | あいみょん |
夏子 | 木村佳乃 |
ばあやたち | |
ワラワラ | 滝沢カレン |
老ペリカン | 小林薫 |
インコ大王 | 國村隼 |
大叔父様 | 火野正平 |
牧正一(眞人の父) | 木村拓哉(特別出演) |
アオサギの声を演じた菅田将暉がとても上手だ。彼は、俳優としても目が離せないが、声優としても存在感ありますね。ヒミの声はあいみょん。あいみょんが声優をする/できるとは思っていなかった。うれしい驚きだ。意外だったのは、眞人の父を演じた木村拓哉。眞人の父は、自分の商売がうまくいって自信家で、周りを支配しようとするタイプ、映画の中では決して重要な役ではない。それを木村拓哉が演じるとはなんて贅沢なんだろう(木村拓哉はハウルの動く城で主役の声を担当していて、そのときから声優としての彼に注目しています。)。大叔父様を演じた日野正平はさすがベテラン俳優だ、声だけでも存在感がすごい。
映画の中で、アオサギとペリカン、インコが出てくる。これらは何を暗喩しているのだろうか。私の実家の近くにはアオサギがいて、その大きさや滑空するときの迫力を私は知っているが、一般の人にはなじみがないだろう。それでもアオサギを描く意図は何だろう?よく考えてみたい。
ペリカンは、誕生の暗喩だと思う。夏子が子供を産む、それを象徴している。
インコはなんだろう?群れるところ、目をよく見ると不気味なところ、良い選択だと思うけれど、もっと他に意図があるような気もする。
この映画で印象的なのは、絵と色だ。特にインコの絵が描き方はさすが。ファニーで、恐ろしくて、愛嬌のあるデフォルメがされている。そして、色も美しい。
眞人から受ける印象は、賢さ・正しさを知る頭の良さ・正しさを心から納得できない未熟さ。映画の中で眞人が成長する。正しさを、心から納得できるようになるのが大人ってもんだと、宮崎駿監督が言っている気がする。しかし、すべての大人がそうではない。眞人の父、夏子、キリコ、眞人の周囲の大人はダメな部分を抱えている。成長することは、何かを獲得することではあるが、ダメな部分も身に付けてしまう。
私にとって一番印象的だったシーンを一つ書いておく。映画後半で、眞人が眠っている夏子を起こして元の世界に戻ろうというシーンがある。目の覚めた夏子は眞人に、おまえなんか嫌いだ、と言う。映画前半の夏子の態度が、本心ではなく倫理観からくるものであることを伺わせる。眞人も、夏子に対してわだかまりがあるのに、夏子を連れ帰ろうとする。これってすごい。
好き・嫌いで態度を決めるのではなく、意志をもって正しい態度をとる。それが正しい生き方だ。(なかなかできないのだけれど)
妄想
ここから先は個人的な妄想だ。
大叔父様は、石に出会って彼だけの世界を作る。これが眞人が映画後半過ごした世界だ。大叔父様は眞人に彼の世界を譲ろうとする、悪意のない意志で素晴らしい世界を作って欲しいと。眞人にとって魅力的な提案だっただろう。元の世界に帰れば、慣れない引っ越し先での暮らしが待っている。馴染めない新しい母、学校。元の世界には戻りたくない筈だ。
大叔父様の世界を譲るという提案は、眞人に”これから君はどう生きるのか?”と問うている。
そして、映画は観るものすべての人に問うている”君たちはどう生きるのか?”と。
一方、大叔父様を宮崎駿に重ねれば、彼の作り上げたジブリというブランドと世界観を誰かに引き継いで欲しいと言っているようにも解釈できる。後継者よ、偉大なジブリブランドと世界観を引き継ぐのか、それとも苦しくても自分のブランドと世界観を作り上げるのか?と問うている。眞人の選択を観れば、宮崎駿が皆に何を望んでいるかは理解できよう。