kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



戦争歓迎だった時代がある

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天声人語
朝日新聞 2016年8月14日)「戦争歓迎を記憶する

 これは、覚えておいた方が良い記事だ。
 当時、戦争が始まったことを、一般民衆は歓迎していたのだ。
 そんな馬鹿なと思うかもしれないが、事実である。戦争は一時的に経済を活性化する。儲かるのだ。生活の苦しい民衆は、戦争によって収入が増えて喜んだのだ。戦争を歓迎した。後に、悲惨なことになるとは知らずに。
 
 終戦記念日が近づくと、戦争の記憶を引き継ぐイベントが増える。大抵のものは、戦争がいかに悲惨だったか、つらいものだったかを、若者に伝えようとする。それだけでは足らない。
 将来、戦争が始まろうとするとき、世論は戦争を歓迎しているかもしれない。不況や失業で直近の生活が苦しいためだ。その突破口として戦争が歓迎される。そんな理由で、戦争を歓迎してはいけなかった、これも後世に伝えていこう。

 
天声人語)戦争歓迎を記憶する
朝日新聞 2016年8月14日

戦前の昭和恐慌の頃を描いたのだろう。詩人の吉田嘉七(かしち)が「銀行は倒産し……」と書き出している作品がある。「月給が下がったと言う 物が売れないのだと言う……大人達の暗い表情が 暗い街に溢れた」。局面を変えたのが、大陸での戦火だった▼1931年の満州事変である。「物がぼつぼつ上り出し 景気が良くなって来たらしい」。軍事費が増えたおかげだろうか。「戦争が始って良かったね」という大人達の呟きが、中学生である自分達の耳にも入った。「やがて戦争で殺される僕らの」耳に▼古山高麗雄(こまお)の「日本好戦詩集」から孫引きさせてもらった。戦争は望まれずに始まった訳ではないと、改めて気付く。倒産や失業にあえぐ世には、朗報でもあったと満州の戦火から日中戦争へ。更に米英との戦争が始まると、別の熱狂があった。41年の真珠湾攻撃の日の事を、彫刻家で詩人の高村光太郎が感激して書いている。「世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである」(「十二月八日の記」)▼同じアジアの中国に刃を向ける事の後ろめたさが、知識人にはあったとも言われる。世界を牛耳る米英に挑戦するという大義名分は彼らの心に響いたのか▼先の戦争が如何に悲惨だったかを語り継ぐ。それだけでなく戦争がうれしいものと受け止められた事も記憶したい。戦争は上から降ってくるのではなく、時に私達の足元から湧き出て来るものだから。

(太字は、私が記す)