kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



ネットのつながりは理解ではなく取引が根底にあるのかも

 昨日のクローズアップ現代プラスは、「つながり孤独」がテーマでした。

 「孤独」は昔からあるテーマですが、ネットやSNSのつながりが「孤独」をやわらげるのではなく強めるという点が語られており、面白い。

www.nhk.or.jp

 

 番組では、サクラさん(仮名)がTwitterのフォロワーが三千人いても孤独を感じるという話があった。「誰も私を理解してくれない」。サクラさんの孤独を訴える言葉だ。

 一般人が、三千人のフォロワーを獲得する努力ってどんなものなのだろうか?休みなくTwiiterを巡回してつぶやきの多いアカウントをフォローしてコメントを残して、フォローバックされるようにする。途方もない努力がそこにあるでしょう。

 そのモチベーションが「私を理解して欲しい」だとすると、それはセツナイ。

 

 フォローバックは、相互理解ではなく取引です。フォロワー数は戦闘力と言われたことが以前ありました。フォロワー数の多さがSNS上での発言力を決めるからです。発言力には2種類あり、一つはつぶやきがどれだけ多くの人に届くかという到達する力、もう一つはつぶやきを見た人がどれだけそれを信じるかという信じさせる力。人はネット上の発言を見たとき、そのフォロワーの数や「いいね」の数で信ぴょう性を測ります。

 フォローバックしてくれた相手は、あなたを理解したいと思っているわけではなく、フォローしてくれたお礼にフォローバックという対価を支払ったのです。フォローバックする相手はあなたである必要はありません。誰でも良いのです。

 

 とあるエッセイで、お金を持つことは絶望を知ることだという趣旨のものがありました。

 ウィンドショッピングをしているとワクワクしませんか?新しい洋服やアクセサリ、化粧品、流行りの色の靴、雑貨、そういったものを手に入れた自分を想像するとワンランク自分が上がる気分になりますよね。お金を持つと、洋服やアクセサリをある程度自由に買うことができて、高価なものを身につけても想像したようには自分がイケていないことを知る。色んな洋服を試すほど、自分は一向に上がっていかないことを証明してしまう。そうして物を買うたびに絶望を知っていく、という内容です。

 

 その服や鞄が好きだからではなく、自分が素敵になるだろうからそれを手に入れるというのは、見返りを求めている時点で取引です。これと同じようにフォロワーの獲得も取引になると絶望を知るのでしょう。フォロワーを増やしても自分は満たされないことを知っていく。

 

 だからネットのつながりを求めてはいけないというつもりはありません。

 ネットのつながりはリアルでないため、三つの点で注意が必要です。

 一つ目は、良い所の上澄みだけをすくった情報交換になりやすいことです。匿名性があり、情報のフィルタリングの容易なネットでは、だれもが自分の都合の良い情報だけを発信できます。毎日コンビニ弁当を食べていても、月に何度かお洒落なレストランで食事をしその料理の写真をアップすればグルメなあなたが出来上がります。誰かと一緒に雑談したとき、その相手を「親友」と書いてネットでつぶやけば、友達に囲まれているあなたが出来上がります。こうして良い所の上澄みをすくうことで、ネットのあなたはリアルのあなたからどんどん離れていき、相手も本当の相手から離れていきます。

 二つ目は、「いいね」の数によってあなたが評価されることです。リアルだと、あなたの話に対して「良い」・「悪い」・「どちらでもない」の3択で相手は反応します。「悪い」っていう反応をされなければまぁ良しというのがリアルでの基準でしょう。一方ネットでは、「良い」以外の反応は返ってきません。これってキツイです。相手の反応のレベルが上がりますから。

 三つ目は、「良いね」の数を競う相手が全国レベルなことです。リアルだと、あなたが比べる相手は10人程度だと思います。それがネットでは桁違いに比べる相手が増えます。100の「良いね」をもらっている人を見ると、3の「良いね」しかもらえないとへこみますよね。

 

 ネットのつながりと孤独を考えていると、孤独の解消にはネットは向かないのだと感じます。

 フォロワーを増やすのは取引になりがちだし、良い所をすくった会話はリアルなあなたから離れていきがち、そして「良いね」の数で自分が評価されている気分になりがちだから。

 

 最後に「”ありのまま”の自分に気づく」(小池龍之介)から引用します。他人に理解されることを期待しそれが満たされないとき孤独感を感じる、という話が載っています。

 私たちは一人でいるときに、寂しい、孤独であると感じるのかと考えてみますと、現実的にはむしろ一人でいる時よりも、誰かとつながろうとする、ないしは誰かとコミュニケーションしようとするときに、強い孤立感が生じるように思われます。

(中略)

誰かとつながることを何らかの形で期待したとき、その期待値が満たされないときに孤立感がより強まるということは、なんとなく体験上、皆さんも知っていることではないでしょうか。