日本の科学研究への予算が減っているらしい。アカデミアはこれに対して文句を言っている。当たり前だ。ただ不思議なのは、彼らの文句が理論的でないことだ。科学者なのだから、科学研究予算を増やすことのメリットを定量的に主張すれば良いのに。
サピエンス全史を読んでいたら、合点がいった。
科学を気前よく援助する人々
(中略)
科学も経済的、政治的、宗教的関心によって形作られる。
(中略)
なぜ莫大なお金が政府や企業の金庫から研究室や大学へと流れ始めたのか?学究の世界には、純粋科学を信奉する世間知らずの人が多くいる。彼らは、自分の想像力を掻き立てる研究プロジェクトなら何にでも政府や企業が利他主義に則ってお金を与えてくると信じている。だが、これは科学への資金提供の実態からかけ離れている。
ほとんどの科学研究は、それが何らかの政治的、経済的、あるいは宗教的目標を達成するの役に立つと誰かが考えているからこそ、資金を提供してもらえる。
(中略)
限られた資源を投入するときには、「何がもっと重要か?」とか「何が良いか?」といった疑問に答えなくてはならない。そして、それらは科学的な疑問ではない。
(中略)
終業とイデオロギーだけが、そのような疑問に答えようとする。
つまり、科学に投資をするのは、その研究成果が何かの役に立つからで、役に立つかどうかの判断は科学者が答えられるものではない。宗教とイデオロギーだけがそれに答えを与えられる。
よく、欧米と比べて日本の科学研究費の少なさを比較して、これではいけないという論を張る科学者がいるが、それはあまりに単純すぎる。欧米と日本では置かれているコンテキストもイデオロギーも違うのだから。