コストパフォーマンスで人生を測る人がいる。
マンションと持ち家はどちらが得か?車を持つのと持たないのはどちらが得か?結婚するのとしないのとどちらが得か?等々
そうした風潮に、子育てという視点で一石を投じたのが下の記事。
コストパフォーマンスとは、米国的な合理主義が根っこにある考え方だ。合理主義の前提にあるのは、測れること、目的があることだ。
コストパフォーマンス=得られる効用÷コスト
コストパフォーマンスを追求することには、副作用もある。
例えば、ターゲティング広告でコストパフォーマンスを追求すると、収入は下がっていくことが知られている。TVなどのマス広告は視聴者の好みを無視して広告を打つため、外れが多い。一方Web広告ではユーザの行動履歴を分析し、その好みにあった広告を打つ。後者の方がコストパフォーマンスは高い。
コストパフォーマンス=購入数÷打った広告数
ところが、広告をユーザーの好みに合わせて絞り込めば絞り込んでコストパフォーマンスを上げるほど、広告によるモノの売り上げは下がる。売り上げ低下を問題にして広告のコストパフォーマンスをあげようとすればするほど、売り上げが下がる。
別の例として、会社の経営者がコストパフォーマンスとして営業利益率を指標とした場合を考えましょう。
コストパフォーマンス=営業利益率=営業利益÷売上高
営業利益率を上げるための常套手段は、製品を絞り込むこと。製品Aの営業利益立が20%(営業利益2千万円、売上高1億円)で、製品Bの営業利益率が10%(営業利益1千万円、売上高1億円)だとすると、合計で営業利益率は15%。もし製品Bの事業をやめれば、営業利益率は20%に上がる。一方で、売上高は2億円から1億円に減少する。
つまりコストパフォーマンスを追求すると、規模が減る。 人生のコストパフォーマンスを追求したとき、何かを減らしている。趣味の幅広さだったり、友人の数だったり、恋人をみつける可能性だったり、人生の楽しみだったり何かを減らしている。これらは測定することが難しく、すぐ効果の実感できるものでもない。そのためコストパフォーマンスの公式の分子に表れにくいものが減らされがちだ。
また、ビジネスの世界では、コストパフォーマンスを単純に追求したりしない。コストパフォーマンスはKPIの一つとして設定し、それ以外にいくつかのKPIも設定する。例えば、既存事業はコストパフォーマンスを追求するが、新規事業はコストパフォーマンスではなくユーザー数獲得を優先するといった具合に。具体例でいえば、サイバーエージェント社のAbemaTVは赤字事業だが、今はユーザーをKPIとして活動している。
またビジネスの世界ではどんな会社にも通用するユニバーサルなKPIは存在しない。会社毎に目指したい姿は異なるし、会社が置かれている市場環境、会社の従業員の質などが異なるためだ。
ビジネスよりも複雑な人生をコストパフォーマンスだけで議論するのは危険だ。複数のKPIを設定するのが必要だ。そして、KPIは人それぞれに違う筈だ。成功した有名人のKPIをマネしてもうまくいかない。それはビジネスの世界では常識だ。人それぞれ強み弱みが違い、目標も異なるからだ。
人生のコストパフォーマンスの議論はシンプルであるため、それが正解であるように感じるだろう。しかしそれは間違いだ。
コストパフォーマンスの追及には副作用があること。また、コストパフォーマンスという一つの指標で測れるほど現実は単純ではないこと。そして、人それぞれに目指す指標は異なるためだ。
まとめ
コストパフォーマンスのロジックは、複雑な人生を極端に単純化する。単純化しすぎた議論は危うい。さらに、パフォーマンスの感じ方は極めて個人的で、他人と議論できるものでもない。そのため、コストパフォーマンスの良い悪いの議論は、独善的で思考停止なものになりがちだ。
あなたはコストパフォーマンスを高めてどうなりたいのか?