kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



写真家 石川竜一の話を聞く

 写真家 石川竜一のトークショーを聞いてきました。石川竜一は、40回木村伊兵衛賞を受賞しているので、ご存知の方も多いでしょう。「絶景のポリフォニー」、「okinawan portrait 2010-2012」などの写真集を出しています。ネット記事では以下のものがあります。

 石川竜一は、ポツポツと話す人でした。雄弁に語るタイプではありません。写真を撮るという作業は、言語化する作業とは別物ですから、流暢に喋らないのは当然かもしれません。言葉を選びながら話すタイプでありながら、言葉が見つからなくて話せないという感じ。
 「色々なことをやる。その振り幅が大きいほど、その真ん中にあるものがはっきりする」、「色々なことを並行してやっていると、いつも自分はこうなるということがわかってくる」、「(何を撮るのかと問われて)気になったものを撮っている。」「自分で想像できるものはつまらない。想像を超えるには、外から来たものに反応していくしかない」、「ボクシングでパンチを避ける時は、パンチを見ているのではなく相手の動きを先読みして反射的に体が反応して避けている。それと同じ。写真も先を読んで反射的にシャッターを押している。」彼の話は分かるようで分からない、いい具合に抽象的です。


話しと違ってテキストは雄弁です。言葉を選んだ後の文章という感じがします。

今そこにあるものを、できる限り受け入れること。「研ぎすます」や「無駄を削ぎ落とす」ということは技術的なことではなく、自分の経験や培ってきた概念をできる限り捨て、今この時と向き合うことだ。そうすることで、これまでの鎖から解放され、また新しい「何か」が入ってくる。捨てて捨てて捨てて、今この時に捨てられずに残ってしまっているもの。それが今の自分のどうしようもないクソッタレのアイデンティティに他ならない。

(写真展「絶景のポリフォニー」より)

これは、そこにいる物にとって自分には何の価値もなく、ただそこにある物を受け入れて写真を撮るという感じでしょうか。
 
 トークショーの中では、”撮ったものの中から、説明できる写真を発表している”というフレーズが印象的でした。”説明できる写真”ってどういうことでしょうね。なぜその写真を撮ったか、この写真は何であるか、この写真を通して何を伝えたいか等、説明の切り口はいくつもあるとは思いますが、彼の言う”説明できる”写真とは何であるのか、考えながら帰宅しました。

絶景のポリフォニー

絶景のポリフォニー

okinawan portraits 2010-2012

okinawan portraits 2010-2012