小説の舞台は児童養護施設。児童養護施設と聞いて皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?かわいそうな子供が生活している場所など、なんとなくネガティブな捉え方をしているのではないでしょうか。小説やドラマの中で、こういうネガティブなイメージの場所というのは、荒んだ人の育つ場所として描かれたり、逆境に負けず健気に生活する場所として描かれたりするのが大抵のパターン。小説を読む方も、児童養護施設に対する知識がないため遠い世界の物語として紋切型の設定をうのみにしがち。
この小説を、そんな遠い世界の物語として読み進めていくと、最後の「あとがき」で急にリアルさが増す。この「リアルさ」のどんでん返しがものすごい(詳細は敢えて省略)。
「あとがき」を読んで、児童養護施設の「リアルさ」を世の中に伝えるためにこの小説が書かれたことを理解します。世間の人は児童養護施設について何も知らない。なんとなくネガティブなあるいは可哀そうという印象でしか捉えていないと。
さて、この小説を読みどころは3つあるように思います。一つ目は、小説の中で描かれる児童養護施設の「リアルさ」に思いを馳せること、二つ目は、「かわいそう」について深く考えること、三つ目は、著者の主張について考えること。
小説である以上、ここに書かれていることの全てが現実とは考えられない。そこで「リアル」を探しながら読むことになる。
施設に通っている高校生の進学を反対する施設職員の猪俣の言葉を抜き出そう。
「カナの将来を心配してるよ。だから、安易に進学に賛成はできないんだ。経済的なリスクが伴うことだからね。」
(中略)
「カナの方がヒサよりも心配だから、リスクの多い進路を選んでほしくないんだ。保護者の援助を受けられない進学は、生活が行き詰まる可能性が高い。それに、カナは女の子だからね」
(中略)
「するかしないかの問題じゃない。追い詰められたとき、手っ取り早くお金を稼げるルートが世の中に存在してることが既にリスクなんだ。」
(ページ240)
進学をリスクと捉えている一般の人は少ないでしょう。ところが、彼らにとって進学はリスクなのだ。これが児童養護施設の「リアル」なのだと思った。
次に「かわいそう」についての記述を抜き出そう。施設で暮らす高校生カナの言葉。
「仕方ないよ、施設はマイナスイメージついているもん。本とかドラマとかそういう話多いしね」
(中略)
「仕方ないんだよ」
奏子はまた繰り返した。
「それがニーズなんだから」
「ニーズ?」
「施設に求められるニーズってそういうものだから。かわいそうとか荒んでるとか、特徴を極端にしないと面白くないじゃない」
(ページ141)
世間が「かわいそう」と思う対象を求めている。人は他者を「かわいそう」と思うことで、自己の優位性を確認し安心する。他者を「かわいそう」と思うのは自分のため、だから他者に対して興味を持たない。痛いところを著者は突いてきます。
さて、この小説の中で著者は、児童養護施設の費用を将来の「投資」として考えてはどうかと提案しているのだと思う*1。
人口減少が問題になる日本において、子供への投資が政策的に行われています。幼稚園の待機児童ゼロ化、高等教育の無償化、子供の医療費減免など。これは、将来の納税者を増やすため必要に駆られて行っています。ならば、児童養護施設も「投資」対象になり得るという提案には目からウロコです。
人口減少が問題になる日本において、子供への投資が政策的に行われています。幼稚園の待機児童ゼロ化、高等教育の無償化、子供の医療費減免など。これは、将来の納税者を増やすため必要に駆られて行っています。ならば、児童養護施設も「投資」対象になり得るという提案には目からウロコです。
まとめ
この小説は、「あとがき」を読むことで全体の印象がグッと変わる。そのため、2度読むことをお勧めします。一度目は普通の小説として、二度目は「リアルさ」を探しながら。
小説全体が「あとがき」に向けて描かれている、その構成が見事です。