kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



就職活動と集合知  なぜ学生の自己主張は皆同じなのか?

ある大学教授と話をしていて、学生の評価尺度が一貫していないという話になった。

学生は、小学校から大学までの間は、周りのみんなと同じことをしていると褒められる。それが大学院に入ると(正確には大学の研究室に配属されると)オリジナリティ、すなわち人と違ったことをすることを求められる。そして企業に入ると、自分が他人とどう違うのか示すことを徹底的に求められるのだ。

小学校から大学までの間は、お勉強をしていれば褒められる。そのお勉強は、みんなが同じ教科書というものを使って行うもので、競い合っているのは正解が予め存在する問題を解けるかどうかである。例えるならば、目的地の指定されているハイキングにおいて、最初は先生が目的地まで連れて行ってくれて、試験という場では一人で目的地に行けるかを試されるわけだ。無事たどり着けば(問題が解ければ)褒めてもらえるというシステムに学生はいるわけだ。

一方、大学院生における研究とは、道のないところへどう達するかということを求められるわけだ。しかしながら、既存研究という名の舗装された道が既にあり、その舗装部分を先に延ばせば(論文が書けて)、褒めてもらえるというシステムに大学院生はいる。

企業に入ると、まずは自分が有用であることを示さなければ評価されない。有用であるには、自分が人と違うことが必要条件である。そして、その違いが価値を生むことが十分条件である。

この教授との話で思い出すのは、就職面接で学生が同じことを主張することである。リクルートシーズンになると、何十人もの学生と会うがみんなが同じことを言うのだ(就職情報サイトを見たと思われる志望動機や自己アピールをしているのだと思うが、)。他人と同じ主張をしても、自身が有用であるという主張にはならないのだが、ネットによる集合知により皆が同じ情報源にアクセスし、同じ自己主張を導いている。自分が他人とどれだけ違うか?そしてその違いは役に立つのか?自問することが大切だと思うのである。