kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



TVで有意義な議論はできるか? 山口教授と橋本知事の議論から

wikipedia:山口二郎教授とwikipedia:橋本徹市長がTV番組で議論した。議論は、まったく有意義でない結果に終わり、その様子がネットで話題になった。山口教授が一方的に議論に負けた印象を視聴者に与えたようで、なぜ一方的に負けたかに関してネットで意見が交されている。
http://togetter.com/li/243050

 私は山口教授が負けたというより、橋本市長に門前払いにされたように感じる。そもそも、議論において「勝ち」は定義しづらい。敢えて言えば相手に多くコントリビューションした方が勝ちであろう。あの場ではお互いへのコントリビューションがなくただ不毛であった。そんな風に議論が有意義でないものに終わった一番の原因は、場を設定したTV番組制作側にあると思う。論点が曖昧なままショーとして議論をさせたように感じる。

 橋本市長の主張の背景には、”個別の最適化は各組織の長が権限と責任を持って行い、全体最適化は全体を見る(市)長が行う、そして全体最適化は政治の仕事である”という考え方があるように感じる。それに対して、山口教授は政治に口を出したように橋本市長には感じられたのではないかと推測する。それは、権限違反であるので、橋本市長は山口教授の意見を門前払いにした。そんな風に私には見える。

 権限違反の行動に門前払いで応じるのは礼を欠くように私には思えるが、議論の場はTVであることが橋本市長にそういった行動をとらせた可能性がある。「言葉狩り」でお馴染みのようにTVは編集によって如何様なイメージを作りだすことが可能である。99%正しくとも1%の間違いをあげつらって、100%間違っている印象をTVは編集によって作り出す。それゆえ、1%も負けないことが橋本市長のあの場での目標であったのかもしれない。

 このように考えると、TVの前で議論すること自信が有意義でないのかもしれない。それはショーであり、しかも後に如何様にでも編集されるというTVの手のひらの上で行われるのだから。

追記

 ところで、産業界では行政による規制ができる前に、業界の自己規制を行うことがよく行われる。それは、業界外部からの規制は、制度そのものがズレていたり、運用が静ら買ったりするためである。これになぞらえて考えれば、教育委員会は自ら改革を橋本市長に提案するのが良いと思うのだが、なぜ行わないのだろうか?