kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



コミュニティを演じ分ける

 「角川インターネット講座5 ネットコミュニティの設計と力」を読んでいると、そもそもコミュニティとはなんだろう?と考えさせられます。

 SNSをはじめとするとコミュニティサービスの動静には私も注意を払っている者の1人です。しかし、コミュニティサービスの前にコミュニティとはなんでしょう? 本書の「第4章猿楽から考える人間のコミュニティの未来」を読んでいると、ここに立ち返って考えたことのないことに気づきます。
 コミュニティに参加する。これは人間にとって当たり前過ぎる話です。そのため、サルのコミュニティとの比較によって人間の特殊性を説明しています。

(人間とサルと決定的に異なる点は)生きるために複数の集団を出入りするという点である。

私たちは、家族と言う集団を形成しています。それ以外に、学校や会社の集団にも出入りしています。複数の集団に出入りするのは当たり前のことですが、サルにはそれが無いと言うのです。
 

 人間以外の霊長類の場合、いったん群れを離れてしまうと、その群れには戻れなくなってしまう。戻ろうとすると、元の仲間から攻撃を受け、追い出されてしまうのだ。

女子高生の友達グループは排他的で、他のグループの子と仲良くするとグループからはじき出される、ことがありそうです。しかし、学校の友達グループに参加したからと言って、家族からはじき出されるわけではありません。
 

人間は類人猿には決してできなかった、集団ごとに自分を違う形で表現し、違う役割を演じるということができるようになったのである。

家族の中ではわがままを言っても、学校の友達グループでは気配りのできる人間を演じる。そんな集団ごとに違う役割を演じることは誰もが普通に行っています。ところが、サルは、一つのグループにしか所属しないため、役割を演じ分けることが無いのです。
 
 さて、一人の人間が複数の集団に属するとき、異なる集団の構成員が重複している場合も考えられます。これを極端に言えば、構成員は同じであるのに集団(すなわちコミュニティ)が異なり、果たす役割も異なる場合があると言えないでしょうか。
 例えば、昔行われていた飲みにケーション。会社のメンバーと、昼間は一緒に働いて、夜は一緒に飲みに行く。夜の目的がコミュニケーションであるとすると、昼の集団と夜の集団はコミュニティとして別であった可能性があります。上司は、昼間は仕事を遂行する上で監視者としての役割を果たし、夜は場を盛り上げるエンターテーナーとしての役割を果たす。構成員は同じであるけれども、コミュニティが異なっていたのではないでしょうか。
 もし、飲みに行っても、上司が昼間と同じ顔をしているとするならば、それは同じコミュニティであるかもしれません。
 
 集団のメンバーが同じかどうかにかかわらず、コミュニティの性格を考え、そこで果たす役割を意識すると、社会生活がもっとうまくいくかもしれません。