成功体験ってみんな好きですよね。
話す方も、聞く方も、両方これが好き。だから、成功体験って世の中に拡散されてシェアされていく。
一方、失敗体験って殆どシェアされない。聞く方は失敗体験も好きなのですが、話す方が話したがらない。
「佐賀県の教育情報システム「SEI-NET」と校内LANへの不正アクセス事案についてまとめてみた」(piyolog)
17歳の少年が、佐賀県の教育情報システム(SEI-NET)に不正に侵入して個人情報を持ち出した事件がありました。上は、この事件についてまとめたものです。これによると、少年が不正侵入した手口について、秘せられています。
(SEI-NETを構築した)凸版印刷は取材に対して犯罪を助長することになるとして詳細な原因は明らかにしていない。
(上記エントリより。ただし、カッコは私が付与)
「犯罪を助長することになる」から原因は明らかにしない、という理屈はいただけない。やはり、ま、失敗の詳細なんてものは語りたくはないと感じます。
「佐賀不正アクセス . 高校生15人が情報共有か」(毎日新聞)
上は、少年がその手口を、他の少年と共有していたと報じています。
不正アクセスに成功した少年にとっては、これは成功体験。当然、誰かに話したいのです。そして、それを聞きたい人間もいます。そして、成功体験は、世間に拡散し共有されていく。
このようにして、最先端の不正アクセス技術は、成功者とその模倣予備軍の間では拡散し共有されるが、それを防ぐための糧である失敗体験は、不正アクセスを防ぎたい人の間では共有されない。
こう思うと、世の中は不正アクセスの攻撃者に有利なようにできている気分になります。
困ったものです。同種の構造は他にもありそうな気がします。