優しい文章を読んだ。
SNSに関わる人間には2種類いる。特別な人間になれと言う人間と、言われる人間の2種類だ。
一部では、自分の成功歴を看板にして人々に個性の主張のし方を教えてお金をとっている人がいる。自分が特別なのだから、君も特別になろうよ、と。
そして、特別な人間になれと言われる側は、
彼や、彼に同調している若い人たちのアカウントのプロフィール欄は、どれも同じような特徴を持っていて、それはいわゆるインフルエンサー界隈やオンラインサロンを運営している人々のプロフィールの作り方と酷似している。どこに所属していて、どんなことをしていて、どんな資格を持っていて、そして将来どうしたいのか。個性をなるべく立派に見えるようにつらつらと書き連ねているのだ。(こういう書き方については、私自身も参考にしているところがある。お仕事をくれるひとがわかりやすいように、と。)さらには、『何RT以上で裸足でアメリカ横断します』といった内容のものも回ってくる。どれもフォロワーを増やしたり、注目度を高めたりするのに有効な手段だけれど、そういうツイートをしている人のパーソナルをしっかり見ようとしてみても、そこに「注目されたい」「有名になりたい」という種類以外の、その人自身の中身になるようなものがまったく伝わってこないことがとても多いな、と感じる。件の中学生についても、アメリカを横断する理由は探しても「みんなに勇気を与えたい」というん漠然としたものしか出てこない。そういう人たちを何人ぶんも、眺めていて、途方もない気持ちになった。
勇気を与えたいんじゃなくて、「何者か」になりたいだけなのだ、たぶん。
この言われた側の人間に対して、特別じゃない君も大切で価値がある存在なんだ。それに気づいて欲しいと文章は続いている。
優しい文章だ。
文章を書く時の基本は、結論を決めてから文章を膨らませること。この文章からは、あらかじめ決めたであろう結論が”特別じゃなくても君には価値がある”だと分かる。この結論に向けて四千字以上の文章が書かれている。原稿用紙10枚分の優しさが綴られている。
中でも次の部分はとびっきり優しい。SNSに振りまわれることないよという自分の言葉を敢えて”綺麗事”と言い放ったうえで次のように続く。
だけど、もしもあなたの世界がSNS中心の世界になっていて、そのなかで居場所がないと感じたり、もっと突飛なことをしなくちゃと焦ったり、注目されないと価値がないんじゃないかと思ったり、心無い言葉に傷ついたりしているのなら、そういうときには都合よく今の綺麗事を思い出してほしい。
丁寧に控えめに書かれた優しい文章です。