伊坂幸太郎の本をまとめて10冊ほど読みました。面白かったです。その中で、この記事では「バイバイ、ブラックバード」の感想を書きます。
あらすじ
5人の女性と同時に付き合う男、星野は<あのバス>に連れていかれる前に望みがあった。それは、彼女たちに会って別れを告げることだった。別れの場に同席するのは、身長190センチ体重200Kgの巨大な女、繭美。繭美に見張られながら星野は5人の女を巡る。
登場人物
- 星野一彦: 5人の女性と付き合う男。もうすぐ<あのバス>に連れ去られる。
- 繭美:星野の見張り役。身長190センチ体重200Kgの巨大な体を持ち、常識や品性、色気のない女。
- 星野と付き合っている女5人(廣瀬あかり、霜月りさ子、如月ユミ、神田那美子、有須睦子)
感想
この小説は、太宰治の1948年の小説「グッド・バイ」のオマージュ作品。「グッド・バイ」も複数の女性と付き合う男が、別れを告げるためそれぞれの女性のもとを巡ります。ただし、登場人物のキャラクターは大きく異なっていて、それを頭に入れて読むと、本小説の特徴が分かって一層面白い。
主人公を比較すると、下のように真逆の性格をしています。なんとなく良い人でフワフワ生きている感じの星野一彦に対して、田島周二はアグレッシブに富と女を求める性格です。この性格差のため、女性と別れる態度も随分と違っています。
小説 | 主人公 | キャラクタ設定 |
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バイバイ、ブラックバード | 星野一彦 | 独身(おそらく)、積極的に女を口説いたりしない、優しい良い人、借金がある。<あのバス>に連れ去られるため、恋人たちと別れを決心する。 |
グッド・バイ | 田島周二 | 先妻とは死別し二人目の妻を持つ、女好き、抜け目のない性格、闇商売で大儲けしている、愛人を10人近く養っている。金儲けも遊びも十分したため、そろそろ別居中の妻と同居をしようと考え、愛人たちとの別れを考える。 |
別れの場に同席する女を比較すると、性格は似ていますが美醜が大いに異なります。がっちりした体格の繭美に対してほっそりしたキヌ子、でも違うのはそこだけ。どちらも怪力を持ち粗野な性格です。別れの場に女が同席する理由はどちらも同じで、この女と結婚すると言えば、恋人たちも諦めて別れてくれる、と考えたから。
さて、彼氏から別れを告げられた女性は、女性らしくない女と結婚するからと言われるのと、絶世の美女と結婚するからと言われるのとでは、どちらが諦めがつくのでしょうね?
小説 | 別れに同席する女 | キャラクタ設定 |
---|---|---|
バイバイ、ブラックバード | 繭美 | 背が高く、がっちりした体格、怪力の持ち主、下品で非常識な性格、上層部に命じられ星野を見張る。 |
グッド・バイ | 永井キヌ子 | 背が高く、ほっそりしている、すごい美人、怪力の持ち主、声質が悪い、普段は泥々のモンペにゴム長靴を履いている。田島に雇われて別れの場に同席する。 |
繭美は身長190センチ体重200Kgの巨漢で、プロレスラー並みの体格と怪力の持ち主の女性です。その巨漢ぶりは、物語の随所でコミカルな要素を生み出しています。*1。星野は、痩せれば繭美も見栄えがするかもと思ったけれど、痩せる繭美を想像できずに、こう思います。
それこそ、「奈良の大仏が痩せたら、スリムなジーンズが穿けるだろうね」というのと同様の、意味のない仮定の話にしか思えなかった。
(27ページ)
この表現はユーモアがあって私は好きです。
星野の5人の恋人は、性格も抱える事情も様々で、別れを告げられた際の反応も多様です。
一人目に別れを告げられたのは廣瀬あかり。小説は、二人が出会った日のことから始まります。廣瀬あかりは、”鹿狩り”は分かるが”紅葉狩り”という表現はおかしい、紅葉鑑賞に”狩り”という言葉を使うのに違和感があると星野に訴えます。そして、すったもんだあって廣瀬あかりと別れた後で、星野はこう思う。
初めて会った、あの日だ。「紅葉狩りって言うのは変だよね。絶対、変だよね。」と主張する彼女を眺めながら、温かい気分になった。いつかこの子と、紅葉狩りに行ければいいのにな、と想像していたものだったが、結局それも叶わなかった。
(59ページ)
恋人と別れたときに相手の良いことを思い出す、それはきっと良い付き合いだったのでしょう。少なくとも星野にとっては。
二人目に別れを告げられたのは、霜月りさ子。出会いは、映画「フレンチ・コネクション」よろしく刑事に車を貸した星野がりさ子に助けを求めたことでした。刑事は、星野の運転する車を強引に止め、警察手帳を見せながら奪うように星野の車を借りていったのです。
ああいう時、刑事に車を取られちゃった運転手はその後、どうしたんだろう、とか思ったことありませんか?
(67ページ)
みなさんはこう思ったことはありますか? 私は、ありません。。
三人目に別れを告げられたのは、如月ユミ。小説のこの部分は、伊坂幸太郎らしい伏線とその回収がよく描かれ、また遊び心のある会話も多い。その中で、繭美の言葉。
「いいか、前も言ったような気がするけどな、人間の最大の娯楽は、他人に精神的なダメージを与えることなんだよ」
(131ページ)
攻撃的な性格の繭美が言うと、他人をイジメる側の人間の言葉に思えますが、もしこれが他人にイジメられる側の人間の言葉だとすると、また違った意味が感じられます。もし、繭美が過去にひどいイジメにあい、その結果いまの攻撃的な正確になったと考えると、この言葉は意味深ですね。
四人目に別れを告げられたのは、神田那美子。神田那美子へ悪態をつく繭美を見て、星野が思ったことは
そして、彼女が他人の心を傷つけるのは、もはや人間の善悪とは無関係の行為にも思えた。蟻の大群が蛙に襲い掛かり、その身体を分解し、巣に運び、食料とするのは僕たちの目からすると残酷に感じられるが、蟻の事情からすれば、「そうしなくては生きていかれない」ということなのだろう。
(191ページ)
繭美の悪態のひどさが重い浮かぶ表現です。そして、そんな繭美を理解することを星野はあきらめます。
五人目に別れを告げられたのは、有須睦子、職業は女優。彼女は小学生の時、近所の幼稚園児に「お姉ちゃん、女優になったら?綺麗だし」と無邪気に言われたのをきっかけに女優に関心を持ちます。一方、その幼稚園児の夢は、大きくなったら(パン屋でなく)パンになること。そのとき彼女が思ったことは
大きくなったらパンになる、とは随分難易度の高い夢に思えたが、とりあえず、「美味しいパンになってね」とだけは伝えた。(230ページ)
この切り返しははとても上手だと私は思う。最終的に、この幼稚園児の夢は叶わなかったようですけどね。
さて、5人の女性との別れのシーンはお互いに独立したバラバラの話なのですが、これが最後一つにまとまろうとします。廣瀬あかりの元カレが美人に弱いので、女優の有須睦子を使って彼から金を巻き上げ、その金を銀行員である霜月りさ子が増やし、、、。伊坂幸太郎は、このような一見ばらばらの話を最後にまとめることが上手なので、私は期待しながら読みました。
また、恋人に別れを告げる部分で、女が決まって「ウソでしょう?」と言い、繭美が「あのさ、お前にも同情はするんだよ」と言う、この繰り返しを5人分やっている点も私は好きです。オムニバス形式には、何か決まりのあった方が面白い。
ところで、この小説にも、伊坂幸太郎らしい伏線が張られている。例えば、廣瀬あかりが、星野は美人が好きと言う場面
「テレビに出てくる女優を見ては、鼻の穴を膨らませて。ぼうっとドラマの女優を眺めているときとかあったでしょ」
(中略)
「そういうわけじゃないんだ」僕が気にしていたのは、特定の女優に限るし、それも理由があった。
(42ページ)
読んだ人はこの伏線がどう回収されるか分かると思います。実はストーリーに影響しない伏線なのですが、こういう伏線を張りまくるところが、私は好きです。
さて、この物語は、星野が5人の恋人を巡る話ですが、星野と繭美の距離に注目して読むと面白い。最初は、不気味な人間離れした女扱いだった繭美ですが、途中で理解不能な生物として遠ざけられます。しかし最後には距離がぐっと縮みます。特に最後のシーンでは、<あのバス>に乗った星野を追いかけるため、繭美はかからないバイクのエンジンを、あと10回と心に決めながらキックする部分は、読んでいて暖かい気持ちになります。きっと、あと10回、あと10回、と何度も繰り返すのでしょう。
考察
この小説で最大の謎は、<あのバス>とは何か?ということです。私は、死を示唆しているのだと思います。そして、繭美達は死神なのだと思います。小説中で、繭美は「そうではない」と言い切りますが、他の可能性を思いつきません*2。
繭美は私の辞書には「常識」という文字は無いなど言いながら、「常識」を消した辞書を相手に見せます。この文字を消した辞書を見せるという行為も謎の一つです。私は、そこに繭美のかたくなさを感じます。繭美は、「常識」という点において他人から一切期待されたくない、そんな想いを感じます。
最後の謎は、小説の名前の「バイバイ、ブラックバード」の意味です。私は、三つの可能性があると思います。
- ジャズの名曲 Bye Bye Blackbirdとかけて、Blackbird(=別れを告げるべき不幸な生活)にさようならという意味
- 単にBlackbird(=渡り鳥の一種)と考えて、星野が、恋人たちから去っていったという意味
- 現代英語では "bye bye blackbird"には、パーティなどをこっそり抜けて先に家に帰る人、という意味があるようで、これに関係していると考えれば、日常世界から星野がこっそり去っていったという意味も考えられます。
この点について正解は明らかではありませんが、私は2が好きです。1は恋人たちとの生活が不幸という意味を持つため奇妙だと感じますし、3は星野が黙って恋人から去ったことになるため違和感を感じます。
名言
小説中に共感できる言葉をみつけました。
「わたしね、あんまり人生に期待していないんですよ。毎日、真面目に生きていても、そんなにいいことってないですし、大変なことはあるけど。」
(72ページ)
これは、とても大人な意見だと思います。
子供は、「夢を持て、やればできる」と大人たちから言われます。まるで人生には無限の可能性があるように感じる言葉ですが、大人になるにつれて”自分の”可能性はそれほど大きくないことに気づきます。たまに、「オレはまだ本気を出してないだけ」とうそぶいたりする人もいますが、大人になると、自分のできることを見定めないといけない場面が多くなりますよね。
「まだ、実感が湧かないだろ。人間ってのはな、死ぬ直前まで、自分が死ぬことなんて受け入れられねぇんだよ」
(285ページ)
これは本当ですね。仏教学者の佐々木閑も、人間は死ぬことを忘れて生きている、と言っていました。自分が死ぬことを本気で考えないからこそ、「100日間生きたワニ」などが共感を得たりするのでしょう。
まとめ
伊坂幸太郎の小説「バイバイ、ブラックバード」を読んだ感想を書きました。
主人公の星野が5人の恋人を別れを告げに回ります。5つの別れのシーンはバリエーションに富んで描き分けられていて面白い。また、もう一人の女 繭美と星野の関係性が徐々に変化していく様子を意識しながら読むと、一層楽しめるでしょう。
この小説は、太宰治の「グッド・バイ」のオマージュ作品であり、それとの違いを意識して読むのも楽しい。特に、星野のキャラクタ設定は太宰のそれとまったく反対であるのに、繭美の設定は似ているのが興味深い。作者の意図を色々と想像できます。