kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



小説「PK」(伊坂幸太郎):文の構造が素晴らしい、パラレルワールドを絶妙に描く

 最後に謎解きがされてすっきりする小説と、謎が残されモヤモヤする小説があります。このモヤモヤはフラストレーションであるとともに、想像し答えを創造する余白です。

 

 伊坂幸太郎の小説「PK」は、タイムパラドックスに関するパラレルワールドをテーマにした小説で、3編の短編集なのか、それらを合わせた1編の小説なのか読み取れない。それは、同じ世界に見えて複数のパラレルワールドが存在していることを暗喩しているように感じます。

 

 さらに、最初の短編「PK」は、3人に関する物語が同時並行に進行します。その構造は伊坂幸太郎が「ホワイトラビット」で採った手法と同じ、同時並行で進行するそれぞれの話は、時間の順序が作者により巧みに隠され、読者は因果律を誤解するよう誘導されます。「PK」では、同時並行する話の互いの関係は明らかにされず、それらは関連する話とも、パラレルワールドの別の話なのか、想像させられます。特に、最後のお父さんの友達の次郎君であるかのように『秘書官が笑いをこらえながら、「あれは大変でした」と喋りだした』という部分は、2つの点で謎を含んでいます。

  1. お父さんの友達の次郎君の話は、作家視点の物語で語られているにもかかわらず、最後の秘書官の話は大臣の物語であり、異なる話のクロスオーバーがある点
  2. 秘書官は、次郎君の話をすでに知っているはず(小説途中で秘書官は大臣に「次郎君の話ですか?」と発言していますからね)。ならば、最後の秘書官の態度は、単にふざけたものなのか、それとも過去を改変されたことの影響で次郎君とつながったのか、謎です。

 

 次の短編「超人」は、未来が分かりその未来を変えるために原因となる人物を排除する男の話です。舞台となる話は「PK」と酷似しており、「PK」で未来を変えようと動いているのはこの男ではないかと暗喩しています。でも、ところどころに「PK」と差異があり、やはり異なる話なのかとも思わせます。

 この小説は、三人称で描かれていますが、唐突に最後で「俺」なる人物の一人称視点に切り替わります。この切り替えが世界には大いなる力が働いていることを感じさせます。

 

 最後の短編「密使」で、パラレルワールドというテーマが明かされます。「超人」が未来に焦点が当たっていたのに対して、ここでは過去に焦点が当たります。

 時間をすり取ることのできる「僕」と、青木豊計測技師長から過去を変えることで今を変える話を聞く「私」の話が同時並行で進みます。読み手はこれがパラレルワールドの別の話が進んでいるとは気づかないよう作者に誘導されています。

 話の最後の「僕」パートで、この話は「超人」の大臣の父親の浮気がばれなかった話につながっていたりもします。

 

感想

 パラレルワールドというテーマを、複数の小説とその中で同時進行する複数の話で書き上げていて、その文章の構造が見事です。

 伊坂幸太郎の「ホワイトラビット」が同時進行する複数の話が、最後に組みあがってパズルがきっちり解ける爽快感を味わうものなら、こちらの「PK」は謎が残され読者が想像する余地が多く残されます。似た文の構造で、異なる効果を描き分けている点も見事です。

 

印象に残った箇所

 伊坂幸太郎の小説の特徴は二つです。

  • 一見バラバラに見える事柄が、小説後半で一つの結末に集まっていく展開
  • 登場人物の魅力的なセリフ

後者の「魅力的なセリフ」について、私の気に入った箇所を記しておきます。

 

 一つ目は、少し長いけれど引用します。作家が不可解な原稿修正要求を受け思い悩む場面、

 「浮気がばれそうなんだ」作家はわざと深刻な表情で言い、誤魔化す。実際、彼は浮気の前科があったから、これは冗談に紛れ込ませた告白に近かった。

 妻はあっけらかんと笑った。「じゃあ、心配いらない。私も浮気しているから、おあいこね」と言い残し、立ち去る

 このシーンの妻の言葉、怖いです。嘘とも本当とも分からない微妙さが怖い。

 

 二つ目は、

「勇気とは、勇気を持っている人間からしか学ぶことができない」オーストリアの心理学者アドラーはそのようなことを言った。

勇気の部分を、別の言葉に入れ替えても成立しそうな便利な言葉に思います。例えば、「視野の広さとは、広い視野を持っている人間からしか学ぶことはできない」、「金を稼ぐコツとは、金を持っている人間からしか学ぶことはできない」等。それでも、勇気を使っている点が良い。未来を変えるのも変えないのも、決めることには勇気が必要だと著者が言っているように感じます。