kotaの雑記帳

日々気になったことの忘備録として記していきます。



「終末のフール」(伊坂幸太郎)の感想:目的を持った行いは脆い

f:id:kota2009:20210414162849j:plain

 伊坂幸太郎の小説を10冊ほどまとめて読みました。面白いですね、彼の小説。
 この記事では、「終末のフール」について感想を書きます。

 

あらすじ

 8年後に小惑星が地球に衝突し人類は滅びる、と予告された。自暴自棄になった者や世を儚む者が街に溢れ、世界はパニックに陥った。しかし、それも長くは続かなかった。予告から5年後には、倒れるべきものは死に、残された者は一応の平穏の中で暮らしている。

 滅亡まで残り3年、仙台ヒルズタウンにあるマンション住人たちの異常事態の中の日常を描く8編の短編小説です。


感想

 目的を持った行いは脆い。本を読みながら私は思った。

 大学に入るために勉強する、モテるためにダイエットする、お金を得るために働く、といったように何かをする時その向こう側には目的があります*1。では、私たちは何のために生きているのでしょうか?

 ”人は、自分が死ぬことを忘れて生きている”と仏教学者の佐々木閑は言います。人は、死ぬことを忘れることで、生きる目的も忘れているのでしょう。


 さて、重くなりがちなテーマを、伊坂幸太郎は軽やかに描いています。


 第1話目は小説と同名の短編「週末のフール」です。”誰の金で食わせてもらっているんだ”と妻や子供に言う昭和の価値観を持っていそうな夫が主人公。会社で他人より出世することが人生の価値、勉強できる子供には価値がある、そんなステレオタイプな価値観が彼に染みついているように思えます。彼にとって娘は自分の美点のアイコンであり、息子は汚点のアイコン。それなのに、娘は彼を嫌い反抗する。

 この短編は、あと3年しか生きられない中で、家族は和解すべきかそれとも和解などしなくて良いのかを問うています。倫理は、人が生きていくためのものであるとしたら、死にゆく人に倫理は不要なのかもしれない、そんなことを考えてしまう。

 なかでも、登場人物が次のセリフを”ひときわはっきり言った”部分は、印象深い。果たして、3年後には許すのか?それとも最後まで許さないのか?

「私は簡単には許さないですから」

(45ページ)


 第2話目は「太陽のシール」。ずっと子供が欲しかった30代の夫婦、その妻 美咲がやっと妊娠した。後3年しか生きられないというのに。産むべきか、産まざるべきか。人一倍、優柔不断な夫 富士夫は悩む。新しい命に恨まれないのはどちらの選択だろうか? この短編は富士夫の下の文章から始まる、果たして富士夫は決められるのでしょうか。

選択できるというのは、むしろ、つらいことだと思う。

(48ページ)

 夫と違い決断できる美咲、その度量の大きさが清々しい。「わたしはどっちてもいいんだ」と、選択の結果生じる結果の差を無視できる人なのでしょう。惑星の衝突が発表され、人々が少しでも被害の少ない場所へと逃げようとしているとき、美咲は逃げずにマンションに住み続けることを選択します。このときの美咲の言葉と続く富士夫の想いが、心地良い。

「隕石は落ちてこないし、ここで二人で暮らすのはきっと楽しいよ」

 彼女の言葉は一つ当たって、一つ外れた。隕石は落ちてくる。生活は楽しい。まあ、同じ一勝一敗でも逆よりはましかもしれない。

(64ページ)

 

 第3話は「籠城のビール」。暴漢が、とある一家を襲い、一家への恨みを晴そうとする。

 恨みのある相手を襲って殺す、相手の寿命を縮めると言う意味で恨みを晴らす方法ですが、後3年で皆が死ぬ状況で、それは恨みを晴らしたことになるのでしょうか? この状況では、恨みを晴らすことすらどうすれば正解なのか不明瞭。そんなことに気付かされる短編です。


 第4話は「冬眠のガール」。遠い目標でなく、すぐ近くの目標を決めそれをひとつづつやろうとする女性 美智。家にある本をすべて読む、という目標を達成した後に立てた目標は、恋人を作るだった。

 さて、後3年しか生きられないのに、恋人を作る意味はあるのでしょうか? 私には分かりません。恋愛至上主義者も、隕石が落ちてくる世界では恋愛に興味を失う気もします。

 

 第5話は「鋼鉄のウール」。ストイックに練習するキックボクサー苗場は、小惑星が衝突すると知っても練習を続ける。

 とにかく苗場がカッコいい。小惑星の予告がされる前の次の部分が特に好きです。

「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」

(中略)

「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。

「変わらないって、どうすんの?」

「僕にできるのは、ローキックと左フックしかないですから」

「それって練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだった。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」(中略)「あなたの生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

(220ページ) 

 

 第6話は「天体のヨール」。小惑星が落ちてくることを楽しみに待つ二ノ宮は、天体オタク。こんな近くで小惑星を観察できるチャンスが来るなんて最高だ。

 二ノ宮の小惑星を観察する行為には目的が無い。観察したいから観察する、ただそれだけ。観察と、その後の人生に関係がないから、人生を終わらせる小惑星を楽しいに待てるのでしょうね。


 第7話は「演劇のオール」。役者を目指したが叶わなかった倫理子は、近所の住人の孫役を演じている。他にも、お母さん役や姉妹役を演じて一日を過ごしている。つまり、家族ごっこだ。家族ごっこは、本当の家族を作るのか?

 この短編には、洒落た表現が多くて好きです。例えば、

無名劇団から有名役者となることを目論んだ。八面六臂の大活躍とは、とうていいかず、むしろ七転八倒の毎日、というか、やけ酒が五臓六腑に沁みわたる、というかそんな具合だった。

(275ページ)

作者が言葉で遊んでいるのが可笑しい。それに実際、下北沢にはこんな人がたくさんいそうですしね。

 また、恋人ごっこをしている男のベッドから朝起きる時、男が別の女の名前を呼んだ場面も、軽くて好きです。

おそらくは、あの写真の女性の名だろう。わたしは自分でも驚くくらいに、そのことにショックを受けず、まあそういうものかな、と思った。(中略)

 ただ、そのまま聞き流すのも嫌なので、玄関から出る際に(中略)「じゃあね、宗明」と以前交際していた彼氏の名前を呼んでみた。

(297ページ)

 
 第8話は「深海のポール」。ビデオ屋の店長 渡部の父は、小惑星衝突の時には最後に死ぬのだと言って、屋上に櫓(やぐら)を立てている。衝突の際の津波が来た時には櫓に上って、町が沈むのを見るのだと。

 櫓を立てる意味が最初は分からなかったのですが、彼は生き残ることに必死なのだと感じます。生き残るというのはジタバタするし、みっともない。それでも生き残ろうとするべきなのだと、作者は言っているのでしょう。


考察

 まずは、小説のタイトル「終末のフール」とはどういう意味でしょうね。私はフール=foolと感じています。つまり、終末にジタバタする馬鹿者という意味。最後にジタバタするのは、生きたいと願うのは動物の本能故ですが、3年後を考えてジタバタするのは人間だけでしょう。理性的に考えれば、今日一日を頑張って生きるしかないのですが、この”頑張る”というのが具体的に何をすることなのか、思いつく人は稀でしょう。小説中にも次のようにあるように、何をしてよいのか分からず時間を持て余すのが人間なのだと思います。

彼もやはり、時間を持て余しているのかもしれない。あと二年ほどで小惑星が地球に衝突する、という状況で、「時間を持て余す」とは冗談にしか聞こえないが、でも、だからといってやるべきことがないのも確かだ。

(323ページ)

 

名言

 「死ぬのは怖いが、不安は消えた」という土屋は言う、その直前の言葉がカッコいい。

「リキは病気を抱えているけどな、俺たちは毎日楽しく暮らしているんだ。負け惜しみとか強がりじゃなくてさ、本当に俺たちは楽しく暮らしているんだぜ」

(80ページ)

楽しく暮らすために必要なものは何かを考えさせられます。残りの人生をどう過ごすかではなく、今をどう過ごすか、明日のために今をどう過ごすかではなく、今のために今をどう過ごすかが大切なのだと感じます。


まとめ

 伊坂幸太郎の「終末のフール」を読みました。3年後に小惑星が地球に衝突し、世界は滅亡する。こんな設定の下、人々がどう暮らすかを描いています。

 普段、人生はずっと続くと思いがちな私たちですが、あと3年と明確な終わりがあるとき、どんな価値観を持ち、何をして時間を過ごせばよいのでしょうか。実際は、何を精いっぱいすればよいのか分からずに、”時間を持て余す”のではと私は思います。

 テーマが重いにもかかわらず、これを軽やかに描く作者の筆力にも感心しました。

 最後に、短編の名前がどれも「○○の〇ール」となっているのは作者の遊びでしょう。もし私がこの小説に名前を付けるとしたら「人生のエール」でしょうか。。

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

 

 

追記

 本屋大賞の7位(2021年)に「滅びの前のシャングリラ」(凪良ゆう)が選ばれました。これも隕石が地球に落ちてもうすぐ人類滅亡という設定ですね。似た設定のこの二つを読み比べるのも面白そうです。

*1:目的と手段を混同しないようにとか言われますしね。